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「思ったことは言わなきゃね!」
と、言いつつ好きな台湾芸能ネタ
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by zeniyu

私の台湾旅行と五月天 怪獣さんの「任意門」

2017-01-05 21:18:51 | 五月天(Mayday)

2016-2017 臺灣

台湾から戻ってきました~。本日より出勤さんです。

寒い日本から、、汗だくだくの台湾でした。なんか今年は台南市は割と涼しくて

北部の方が暑かった。深夜最終便のバニラで飛びそのまま台北から高速バスで台南入りした

今回の旅は、いろいろなことがまたたくさんあって、いろんな人に出会って楽しかった~。

結論。台湾人はやっぱり優しい。電車で一緒になったおばあちゃん、お芋くれたり、台湾好行バスでは

ご夫婦で来てたのに、旦那さんが私の隣に座っていろいろとお話してくれたり、。タクシーの運ちゃんと

喋ったり、。台湾の友達が会ってくれたり。人に助けられた旅でした。

で、もうアホか?と思われるくらい恐ろしく写真を撮ったのに、SDカードからの転送ミスで

画像が破壊され、、。今途方にくれているところ。。たまたま携帯で撮ったのがまだまだあって

それをちょいと、スライドショーにしてみました~。 一番面白かったのは台南にある

「麻豆代天府」の十八地獄。バスの到着が早すぎて、7:00くらいに入ったっちゅー。もちろん誰もおらず、、。

一人で怖いのでバタバタ進んだら。。実は人が接近することでスイッチが入り、人形劇の寸劇が始まるので、。

あっちこっちで一斉に閻魔様が裁き始めた、。。どんな刑かはえぐいのでよく見ませんでしたが

去年同様でしょう。。臼ですりこがれたり、、ノコギリで切断とか、、。いっちゃんでも怖かったのは

最後の最後に誰もいないと思ってたのに、なんと係員のおっさんが出口で朝食食べてたっていう。。( ´艸`)

また、旅の日記は追って。。

さて、今日はやっぱり五月天かな~と思って。知らなかったんだけど

怪獣のお母様が亡くなってたのですね、。

その記事にしました。

ET TODAY

この記事についてる動画見ると、病に伏して12年だったんですね。。

ファンにも当時なんて言って報告しようか分からなかったと

言ってましたが、その時みんなで励ましてくれてありがたかったと。

Facebook見ると、お母様はお酒が好きだったのかな

良くなったらそのお酒と全コンサートの入場券を渡して

「見に来てよ」とそう約束してたけど、12月の初めに亡くなられたそうです。

そしてコンサートの終わった翌日1/2Facebookに

「僕のお母さんが、そして君たちの獣ママが、、僕たちの元を去りました。。」

とコメントを寄せました。実は今回のアルバムの中にある

五月天の歌「任意門」→どこでもドア

という曲は当時小さな部屋にこもって、、というバンド活動を始めた頃の

当時を振り返る内容の歌だと思うのですが、その歌詞に怪獣さんの

お母さんが夜な夜な夜食を準備してくれたというのが入ってまして、それを

阿信がかつてのコンサートで「怪獣のお母さんがいなければ

現在の五月天は存在しない」と。それくらいお母さんは本当にメンバー五人のお母さんでした。

そしてお母さんは五月天のまさに0からこの現在の王道の位置になるまでずっと

傍に付き添ったわけで、12/25のコンサートでは、お母さんが

当時病床の身で、怪獣さんは病院の近くで音楽を作って録音するという過去を振り返り

思わずファンも鼻がツンとするそんな場面もあったようです。

Facebook見ると、毎日この歌を歌うたびに泣きたくてどうしようもなかったんだけど

曲の途中でライトが落ちるときに、なんとか気持ちを立て直してみんなに笑顔を送り続ける

事ができた。と..(´;ω;`)ウゥゥ見てたら泣けてきた。。

そして最後の1/1のライブでは

一万人の観衆と歌った《憨人》はファン皆で合唱した「lalala」が怪獣さんの

目を熱くし、だけどぐっと我慢して最後は深々とお辞儀をした。

という。。のを見ると。。ロイ君のことも思い出してしまった。。

結局怪獣さんはコンサートを全部こなして、できるだけ9日のコンサートを完成させようとした。

って書いてある。。本当だったら映画「百日告別」にあるようなことするんだと思うんだよね。。

辛かっただろうなと思う。でも、これなかったお母さんを想って

一つ一つの音符にお母さんの影を重ねて、最後までやり通したんだと思う。

九號球」の時も感極まって詰まった時もメンバーとかファンが

手伝って歌ってくれて、最後まで歌いつくす事が出来ました。

Facebookにもお母さんに

「よく休んでくださいね、心配しないで僕は大丈夫だから

僕たち五人も大丈夫だから、僕たちみんな大丈夫だから」

と呼びかけの言葉がありました。そして、葬儀は会社が

いろいろと調整してくれて、沢山の参列者に送られて

にぎやかなのが好きな母だったのでとても喜ぶと思いますと。

それで、初七日の日は仕事で遅くなってしまったけど

終了後にもしかしたら

お母さんの面影感じられるかもしれないと

お母さんの好きなビールを何本かと食べるものを持って

歌詞に出てくる行天宮のあの部屋に行ったそうです。

こんな記事を読んじゃうと、、二月の武道館の

「任意門」感極まりそうだ自分。。。(ノД`)・゜・。