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「思ったことは言わなきゃね!」
と、言いつつ好きな台湾芸能ネタ
ブログです~笑
by zeniyu

ロイチウ A機50標頭

2017-01-11 22:50:47 | 邱澤(ロイ・チウ)

お久しぶりのロイ君~。まだまだ撮影中というかなんですかい??

カメラ抱えちゃって、すっかり撮影側に回ってる~

カメラはA機50標頭?? この標頭というのは調べたら標準レンズの略だそうで

ということは50mmの標準レンズ?後はロイカメラマンにお任せを~

白黒のせいもあるかもだけど、やっぱりまだほっそりしてるとお見受け。

春節にはおうちに帰ってたくさんお母さんの料理を食べられますように!

 

なんか横になっちゃう。。ごめんちゃい

そして台中で出くわしたこちらの看板、ご健在!前もいた( ´艸`)

で、そこになんと、昔々の飛輪海のパネルもまだあって、すごく懐かしかった~

飛輪海金飾廣告 →これのやつ~。若いぞ~。

アーロンなんて少年だし!! ということでたまたま本日メンバーの記事に出くわしたので

合わせてご紹介

呉尊

記事を読みますと、。2011年に飛輪海を脱退後、「福隆」という名前のマネージメント会社に

移籍したんですよ。金城武と同じ事務所なんですけどね、まあそこで

映画を中心に頑張ってきたわけですが、この程この会社をですね、噂ですが

どうも大陸のアリババの映像グループと契約を交わしたぞと。

マネさんの話によると、もし尊さんがすでに大陸のマネージメントとサインしたと

しても、それは福隆とのコラボの関係だからであって、会社も本人の意思を尊重する

ということでした。確かに最近彼の動向は追ってませんけど、大陸よりですよねきっと。

やっぱりそれだけ、市場がでかいと、。そういうことではないのかな~。

それから

Calvin

お姉ちゃんと2ショット~とお姉ちゃんの娘さんとのショットかな

ずいぶん大きくなったな~。

そして、お姉さんとも似てるわ~

二人とも顔がきれいだという記事でした。で。。記事の中の写真をみると

宜蘭の年越しはまた脱いじゃったのね~。確かに寒くはなかった台湾。

宜蘭も最終日に行きました!

で、せっかく来たので、スクリューガールに出てきた

宜蘭縣政府

にも。。行ったの。徒歩で45分以上歩いたさ~。

写真もたくさん撮ったさ~。なのに、、、カメラのデータ転送中に

クラッシュ!!一枚も残ってないというとんでもないミス!

携帯で撮っておくべきやった。。。とほほ(;・∀・)

SDカードには寿命があるそうです。皆様ご注意遊ばせ~

ということで、宜蘭からはこの小象ちゃんを連れて

帰ってきました。幾米さんの展覧会

前売り買ってあったのでそのチケットと交換で一つくれるんです

貯金箱だよ~

また、次回行くかな宜蘭~とほほほほほほ~

 


五月天 阿信 STAY REAL LIFE #在場証明特展

2017-01-07 22:17:15 | 五月天(Mayday)

阿信 なんだか顔が腫れぼったい気が。。。

ET TODAY

これ実は、怪獣さんのお母さんが亡くなった報告の翌日なんですよね。

きっとねだから、目を腫らしたまま翌日1/3のこの活動に参加したのですよね。

記事にもそんなこと書かれてます

で、やっぱりそれを見て「阿信は見た感じ疲れてるかな。。」と

思ったファンも少なからず。。全身黒一色ですし、目も赤く腫れぼったい感じですもんね。。

さらに、インタビューがあって「もし過去に戻れるならば、一番どこに戻ってチェックインして

その場に自分の存在を証明したいですか?」に阿信は「一番帰りたいのは、怪獣の家の

小さな部屋にチェックインして、、。それは僕たちの所有していた最初の一つ目の

練習場所で、一切合切そこから中を展開してった場所だから、そこにチェックインしたいな」

そしてそこは五人の夢の始まりの場所以外に怪獣さんのお母さんが夜食を準備してくれた

思い出の詰まった場所であり。。この話は現場にいたファンから慰めの言葉を

こぼれさせた。という事でした。

私はこの1日前に、お邪魔して見学してきました。

入り口には巨大なMousy君が!

で、これは阿信の作品ではないのですが、Duncanさんの作品

「マサ」が弟を引っ張って→ 瑪莎拉弟 Maserati

私も車に詳しくないんだけど、こういう名前のイタ車があるそうで

一種のシャレ??

そのあとは不二良さんのがコーナーとしては一番でっかかった

Mousy君のいろんなバージョンがいて

写真撮るのに大忙し~。

それからこの女の子感満載のNewNewさんの作品があり

これ並ぶとこの椅子に座って写真撮ってもOKといううれしい

おまけつき!

で、最後の方に阿信の作品があって、全部白なんですよね。

かわいい~丸みを帯びた作品が阿信の優しさを表現してるようでした。

全部造形ものだったかな~。

で、最後にこれを撮影してと。持ってるカップも阿信の作品です。

それから、、これはおまけ

こちらは旅のついでに寄ってきた、台南の台鐵の「新營」という駅から

徒歩だと15分くらいかな~。公園と道路の間にある遊歩道みたいなところに

ある「童年狂想曲」というタイトルの作品で、永久的にここに設置されるような感じ

のことが書かれてたので、しばし存在するんだと思う。

 分かりづらいですが、、新民國小の前あたりにあります

ちょっとした遊具もあるし、。Mousyくんが、赤、黄色、オレンジ、ピンク、ブルー、グリーン

といろんなところにちょこちょこいます~。

場所的には台南市の嘉義より。北部って感じかな~。

ちょっと足を延ばしてみるのも~(^▽^)/


私の台湾旅行と五月天 怪獣さんの「任意門」

2017-01-05 21:18:51 | 五月天(Mayday)

2016-2017 臺灣

台湾から戻ってきました~。本日より出勤さんです。

寒い日本から、、汗だくだくの台湾でした。なんか今年は台南市は割と涼しくて

北部の方が暑かった。深夜最終便のバニラで飛びそのまま台北から高速バスで台南入りした

今回の旅は、いろいろなことがまたたくさんあって、いろんな人に出会って楽しかった~。

結論。台湾人はやっぱり優しい。電車で一緒になったおばあちゃん、お芋くれたり、台湾好行バスでは

ご夫婦で来てたのに、旦那さんが私の隣に座っていろいろとお話してくれたり、。タクシーの運ちゃんと

喋ったり、。台湾の友達が会ってくれたり。人に助けられた旅でした。

で、もうアホか?と思われるくらい恐ろしく写真を撮ったのに、SDカードからの転送ミスで

画像が破壊され、、。今途方にくれているところ。。たまたま携帯で撮ったのがまだまだあって

それをちょいと、スライドショーにしてみました~。 一番面白かったのは台南にある

「麻豆代天府」の十八地獄。バスの到着が早すぎて、7:00くらいに入ったっちゅー。もちろん誰もおらず、、。

一人で怖いのでバタバタ進んだら。。実は人が接近することでスイッチが入り、人形劇の寸劇が始まるので、。

あっちこっちで一斉に閻魔様が裁き始めた、。。どんな刑かはえぐいのでよく見ませんでしたが

去年同様でしょう。。臼ですりこがれたり、、ノコギリで切断とか、、。いっちゃんでも怖かったのは

最後の最後に誰もいないと思ってたのに、なんと係員のおっさんが出口で朝食食べてたっていう。。( ´艸`)

また、旅の日記は追って。。

さて、今日はやっぱり五月天かな~と思って。知らなかったんだけど

怪獣のお母様が亡くなってたのですね、。

その記事にしました。

ET TODAY

この記事についてる動画見ると、病に伏して12年だったんですね。。

ファンにも当時なんて言って報告しようか分からなかったと

言ってましたが、その時みんなで励ましてくれてありがたかったと。

Facebook見ると、お母様はお酒が好きだったのかな

良くなったらそのお酒と全コンサートの入場券を渡して

「見に来てよ」とそう約束してたけど、12月の初めに亡くなられたそうです。

そしてコンサートの終わった翌日1/2Facebookに

「僕のお母さんが、そして君たちの獣ママが、、僕たちの元を去りました。。」

とコメントを寄せました。実は今回のアルバムの中にある

五月天の歌「任意門」→どこでもドア

という曲は当時小さな部屋にこもって、、というバンド活動を始めた頃の

当時を振り返る内容の歌だと思うのですが、その歌詞に怪獣さんの

お母さんが夜な夜な夜食を準備してくれたというのが入ってまして、それを

阿信がかつてのコンサートで「怪獣のお母さんがいなければ

現在の五月天は存在しない」と。それくらいお母さんは本当にメンバー五人のお母さんでした。

そしてお母さんは五月天のまさに0からこの現在の王道の位置になるまでずっと

傍に付き添ったわけで、12/25のコンサートでは、お母さんが

当時病床の身で、怪獣さんは病院の近くで音楽を作って録音するという過去を振り返り

思わずファンも鼻がツンとするそんな場面もあったようです。

Facebook見ると、毎日この歌を歌うたびに泣きたくてどうしようもなかったんだけど

曲の途中でライトが落ちるときに、なんとか気持ちを立て直してみんなに笑顔を送り続ける

事ができた。と..(´;ω;`)ウゥゥ見てたら泣けてきた。。

そして最後の1/1のライブでは

一万人の観衆と歌った《憨人》はファン皆で合唱した「lalala」が怪獣さんの

目を熱くし、だけどぐっと我慢して最後は深々とお辞儀をした。

という。。のを見ると。。ロイ君のことも思い出してしまった。。

結局怪獣さんはコンサートを全部こなして、できるだけ9日のコンサートを完成させようとした。

って書いてある。。本当だったら映画「百日告別」にあるようなことするんだと思うんだよね。。

辛かっただろうなと思う。でも、これなかったお母さんを想って

一つ一つの音符にお母さんの影を重ねて、最後までやり通したんだと思う。

九號球」の時も感極まって詰まった時もメンバーとかファンが

手伝って歌ってくれて、最後まで歌いつくす事が出来ました。

Facebookにもお母さんに

「よく休んでくださいね、心配しないで僕は大丈夫だから

僕たち五人も大丈夫だから、僕たちみんな大丈夫だから」

と呼びかけの言葉がありました。そして、葬儀は会社が

いろいろと調整してくれて、沢山の参列者に送られて

にぎやかなのが好きな母だったのでとても喜ぶと思いますと。

それで、初七日の日は仕事で遅くなってしまったけど

終了後にもしかしたら

お母さんの面影感じられるかもしれないと

お母さんの好きなビールを何本かと食べるものを持って

歌詞に出てくる行天宮のあの部屋に行ったそうです。

こんな記事を読んじゃうと、、二月の武道館の

「任意門」感極まりそうだ自分。。。(ノД`)・゜・。