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aimakiの日常やお知らせ。3年9月から新店舗店オープンへの奮闘の日々を投稿。皆さんのご支援をお願い申し上げます!

池田香代子さんのブログから

2011-03-29 09:20:30 | Weblog
僕たちも疎開についてとても悩みました。
過剰防衛と思われるかもしれませんが、今は分かりません。
多少被爆してもすぐに死ぬわけではないんです。
子供たちの影響もすぐに出てくるわけではないんです。

そして食べ物の心配はこれから一生しなければなりません。

僕たちは留まることを選択しましたが、疎開できる人は
罪悪感を持たず避難したほうがいいと思います。

つらい選択になるかもしれませんが、みな自分を信じて
未来を変えていきましょう。


仙台の苦悩 


残るか残らざるかパレスチナは、イスラエルの入植による浸食やアパルトヘイトウォールと呼ばれる高い塀によって、ずたずたにされています。水も水源がイスラエル側にあり、バルブの開け閉めはイスラエルの思うまま。生活用水にも事欠く暮らしが何十年も続いています。イスラエルでは畑にふんだんに散水して、果物を輸出するほどなのに。水がなくても育てられるのが、オリーブの木です。オリーブの木の1本1本は、パレスチナの農民のたいせつな財産です。なのに、というか、ですから、というか、イスラエルは、この土地から農民を追い出そうと目をつけると、まずオリーブの木をブルドーザーで根こそぎ倒します。

イスラエル国内にも、パレスチナ人は暮らしていますが、二級市民としてさまざまな差別をうけています。そんな人びとを支えるには販路を担うのかいちばんと、長年、パレスチナのオリーブオイルをはじめとする農産品や手芸製品をあつかってきた「パレスチナ・オリーブ」という会社が仙台にあります(サイトはこちら)。わたしも、ここのオリーブオイルを、個人で委託販売している友人をつうじて買ってきました。最近はうちのそばの数件のお店が置いてくださるようになったので、そこで買っています(友人には悪いけど、こうすることですこしでもフードマイレージが減りますから)。

「パレスチナ・オリーブ」を主催する皆川さんは、地震後、ブログを立ち上げられました。生活も仕事も、そして地震後の支援もたいへんななかでの発信です。ぜひ全部呼んでいただきたいのですが、きょうは1本だけ、仙台の人びとの今の気持ちがとてもよく伝わってくる記事をご紹介します。残る人、避難する人それぞれの心の痛み、これはひとごとではありません(元はこちら)。

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011/03/25(金) 15:41
福島原発のこと

地震だけだったら、こんな複雑な気持ちにならなかったのに。みんなで助け合って一緒に復興を目指すはずだったのに。


関東で水道水の放射能汚染が問題になっています。空気中の放射線測定値が東京よりずっと高い宮城県の水道水は?? 計っていないのです……。地震で検査施設が壊れたと言っています。本当に壊れたのが理由なら2週間も経ってるのに怠慢だし、数値が高くて発表できないだけでは?と疑いも捨てきれません。まさか、とは思うのですが。
 
水道水を料理に使おうかどうしようか、悩んでいます。実際には、ペットボトルの水が手に入ったときは使い(たまたま見つけたら買い、探して並んで買ったりはしていません)、そうでないときは水道水を使うという中途半端なことをしています。大人である自分が買っていいものか。外に出るたびカッパを着たり服を着替えたりするのも、50歩100歩のような気がしてやったりやらなかったり。そもそも、そんなに気にするなら遠くに行けばいい。仙台にいると決めたのだから覚悟を決めればいいのに。矛盾した気持ちでぐちゃぐちゃです。外に出るたび、料理のたびに悩んで決断することに疲れても来ました。

避難するか、避難しないか。どちらの選択をした人も苦しんでいます。
 
私自身は、高い数値が出ている福島県の一部はもちろんのこと、福島原発から95kmの仙台とそれより高い数値の出ている宮城県南の人たちは、避難できる人は避難した方がいい値が既に出ていると思っています。本当はみんなが遠くに逃げられるならそうした方がいい。子どもがいてもいなくても。
 
でも、家族がいたり、仕事があったり、動けない人も多い。子どもがいるから避難した、でも自分たちだけ逃げたという罪悪感を持っている人たちがいます。子どもがいるけれど避難できないことに不安を持っている人たちもいます。正解なんてないし、罪悪感なんて持つ必要がないのだけれど。理屈はわかっても気持ちはわりきれないのでしょう。
 
私は、夫に託して子ども(7歳)を関西に避難させ、自分は仙台に残るという選択をしました。仙台でやることがあります。育児を放棄し、避難するという罪悪感を逃れるずるい選択です。でも私にはこれしか考えられませんでした。

原発のことがなくても、小さな子どものいる人は避難した方がいいと思いました。まず物資が不足しているから。避難できる人が被災地から出れば、その分他の人に食料が回ります。また、小さい子どもがいると避難所暮らしも大変だし、食糧を手に入れるため長時間並ぶのも無理。ライフラインの復旧は遅い(遅いのは被害がひどく範囲が広いためで、現場の技術者の皆さんは頑張ってくださっています)。地震直後の仙台から避難する唯一の交通手段であった山形行きのバスに乗るには、寒さの中何時間も並ばなければならず子連れには無理。さらに、子どもがいれば支援にも動きにくい。一時的にでも仙台を離れた方がいいと思いました。
 
でも、交通は限られているし、ガソリンはない。仙台やその近郊から避難したくても出る方法がなくあきらめている人たちがいました。だから、小さな子どものいる家族を中心に声をかけ、仙台から山形経由で新潟に行くバスをチャーターして乗ってもらいました。新潟からは飛行機も電車も通常通りに動いているのでどこにでも行けます。関西で夫と友人たちがカンパを集めて、17日、18日、19日で計5台のバスがチャーターできました。関西では避難した方の受け入れもして頂いています。私は実家のある新潟でバスを待ち、その後の交通や宿泊の案内をしました(友人と両親がサポートを手伝ってくれました。ありがとう!)。その後、交通網が復活したのでこの活動は終わりにし、私も新潟から仙台に戻りました。
 
でも。この活動は家族に悩みももたらしました。バスに乗るか乗らないか、多くの方が悩みに悩みました。電話で泣き出してしまった方も複数いらっしゃいました。迷いに迷ってバスに乗った人、乗らなかった人は半々くらいでしょうか。年配の両親を置いていけない、そう言った人も多くいます(ご両親も一緒にどうぞ、と言いましたが、住み慣れた土地を離れる年配の方はいませんでした)。仙台を動けない人も多いのに、チャーターしたバスの案内をすること自体、避難できない人たちを傷つけるのではとも思いました。実際、不安を与えた面も否定できないでしょう。でも、避難したくてもできない人たちがいた以上、やらないという選択肢もありませんでした。カンパをして頂いた皆さんに大変感謝しています。

福島市などはもう避難地域にするべきでしょう。そう政府に申し入れをしている人たちもいます。避難するかしないか悩み苦しむ人を減らすためにも、政府の定める避難地域をもっと広げてほしいと思っています。

私は、原発にも再処理工場にも反対していきました。自分ではなかなか動けませんでしたが、多くの友人たちが、原発・再処理工場のない社会を目指してがんばって活動してきました。こんなことになって悔しくてたまりません。

そして。仙台あたりでは、まだまだ安否の確認や生活物資の確保が大変で、放射能の心配どころではない人がほとんどなのが現実です。この記事もアップするか悩みましたが、現状をお伝えしようと書きました。


追記1:
夕方のニュースで、今日25日から宮城県でも水道水と一部の野菜の放射線測定を始めたと言っていました。


追記2:
ハイロアクション福島原発40年
 
ハイロアクション福島原発40年実行委員会は、2011年3月26日~2012年3月26日までの1年間を「ハイロ(廃炉)アクション年」にしようという呼びかけに集まった福島県内各地の有志により、2010年11月23日に結成されました。2011年3月26・27日にいわきでオープニングイベントが行われる予定で、私も賛同していました。

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