昨日の出張にて、帰りの電車用に購入した本。
(松本方哉著『突然、妻が倒れたら』)
片道3時間チョッとの車中で一気に読み終えた。
どんな内容かといえばタイトル通りの内容。
もちろんフィクションでもなく、ハッピーエンドでもなく筆者は今でも問題に直面されている。
いつも、というわけではないが「もしも自分に」とか「家族に」「離れて暮らす両親に」万が一のことがあったらどうしようという不安に駆られることはある。
しかし今ある普通の生活ではそのような問題が発生していないため、まあ何とかなるだろうとそのうち不安は消えてしまう。というよりそういった現実から目を背ける。
(ちなみに自分は家族の介護経験は全く無い)
この本を読んで、仮に我が家に同じ出来事が起こったとしたら。
自分、嫁、子供、誰かが一人が倒れたとしても多分家庭が崩壊してしまうのではないかと思った。
少なくとも今までのように仕事して卓球してという生活は無くなってしまうだろう。
結局のところ、どうなるかわからない未来のことをあれこれ心配してもその時になってみないとわからない訳だが、「もしも」というときのための備えは必要だと考えさせられた。
また、自分が倒れてしまえば当然仕事も出来なくなるのはわかっていたが、専業主婦の嫁が倒れても介護をするのが自分であれば結局仕事が出来なくなるということも改めて認識させられた。
この先、自分や家族にどんな運命が待っているのか知る由も無い。
だからこそ、今自分が何をすべきか、自分は何をやりたいのかという考えをしっかり持って生きていかなくてはならないと思う。
極論を言えばいつ死んでしまっても思い残すことがないような生き方。
(しかし本当に死んでしまったら全てが終わりなので、何が何でも生きるための執念(目標)をもつことが必要)
卓球に関していえば、いつ転勤を命じられるかわからない自分の場合、本当はいつ卓球が出来なくなってもおかしくない。
そうなると自分だけではなく我が子の場合も同じだ。
でも普段の練習では「明日から卓球は出来なくなるかも知れない」という緊張感は皆無だ。
まあ実際にそんな緊迫した状態練習を続ければ精神的に持たないだろうけど。
毎日あまり変化の無い生活が続くと全ての行動が当たり前に感じられてしまうが、それは違うということをどうやって子供たちに教えていこうか。
まずは自分の生き方をしっかりさせなきゃイカンな。