ましてや、兵隊経験のある松本清張と戦争当時女学生だった向田邦子の意識は大いに異なるに違いありません。
一体に向田邦子の描いた女性は健気で優しく、暖かい著者の目を感じます。
向田邦子が直木賞をとった短編集『思い出トランプ』は小気味良い筆致で昭和元禄当時の庶民の男女を描いたものです。
短い一生を独身で通した彼女なのに、驚くほどリアルに家庭を持つ男女の微妙な心理を描くと感じました(こんな感想を持つ私も独身なので口幅ったい事は言えませんが)。
評論家の山本夏彦は彼女を「突然現れて、それなのに既に名人である」と評してます。
例えば短編の中の『花の名前』。中堅サラリーマン夫婦の話です。お見合いで結ばれて一男一女に恵まれ、専業主婦の妻と仕事熱心な夫で、まあまあの暮らしをしてる。
時は昭和50年代半ばです。
夫は子供の頃から名門校に首席で入る事を親に言われて、それを守って生きてきた男。妻は趣味人の父親を持って、一般常識が豊かないわゆる賢妻。
「結婚したら花を習ってください。僕に教えてください」真っ直ぐな目をして頼む若い男が女にとって飛びつきたい程愛しかった、、
そして25年の月日が経つ。
面白くないが、そのまんまの真面目な男だと信じてる妻。
ところが!
突然かかってきた知らない女からの電話。
「ご主人にお世話になってるものですが、内緒でお目にかかりたい。今日これからお会いできないか?」という。
さて。
上の写真は職業婦人(古い言い方ですが)になりたての向田邦子です。
短大から職業学校へ行って、雑誌の記者になった頃でしょうか、いかにも利発そうでキリッとしてます。
20代の初め、当時の若い女性は今より落ち着いて(悪く言えばふけて見えた)ました。
ただし、その頃の職業婦人は少なくて、一般に高卒で就職してからお嫁に行くケースが圧倒的に多かった(私は1965年大学生となりましたがその頃でもごく少数派だった。向田邦子は1950年ですから)。
閑話休題
彼女自身の私生活の恋愛については小説家だけに非常に嘘が多くてどれがホントだか分からなかったそうです。
ただし、観察眼や洞察力に優れ、感受性の鋭い彼女の描く、普通の男女、特に夫婦の心理たるやリアルで説得力があります。
基本的に殆ど皆良い人(極悪人や冷酷非常な人は0)の為、癒されますが、よく考えれば怖い。
さて、この『花の名前』のそれからは、醜い口論や探り合いがある訳ではなく、曖昧であるがそれなりに平凡な日常生活に戻る筋書きとなります。
ただし、不倫は穢らわしい罪悪みたいな時代では通用しない話かも知れません。
ただし77歳になった私がやっと推理出来た事、それは小説には全然書いてないけど、
「妻と全く異なるのんびりオットリ系の女性に惹かれたお父さん、深い仲になるとそのノンビリさが鈍感に思えて足が遠のき、終わったつもり」だったのではないか。
「つまり適当にあしらわれたのが悔しくて、驚く妻の顔が見たい、平和な家庭を乱したかった」のが突然の電話の真意かと思います。
さて、昔は戦争の最中においてもあったと言う男と女のすれ違い、様変わりした今の世にどんな形で現れるのでしょう?
こればっかりは、ゲームのようにいかないようです。