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読書の森

非常の人 平賀源内

先日古本市で買った江戸時代の奇人伝、再度取り出してみました。

日本において、変人奇人と言われる人が生きやすかったのは、激動の時代でしょうか。
戦国時代、明治維新の頃、終戦直後、価値観の大変換の際、従来の常識だけでは世の中が渡れなかった様です。

政治システムや文化のシステムがきちんと整った江戸時代には、変人奇人ははみ出し者として生きざるを得なかったのです。

1779年52歳で亡くなった平賀源内は一番江戸時代らしからぬ人と言われます。
システムからはみ出し過ぎなのであります。

彼は、天才的な頭脳の持ち主、多才な発明家でありながら、かえってその為に世に受け入れられず、人を殺めて獄死という悲劇的な死を遂げます。

この様な死に方をしたのにも拘らず、彼の作品、戯曲、芸術品は今日まで残り、銅像まで建てられています。

以下の写真は彼の制作品の一部です。

エレキテル(発電機)

量程器(歩数計、歩行距離が分かります)

寒暖計

本草学を学んだ彼の使用した薬箱

西洋婦人を描いた油絵

浄瑠璃本『神霊矢口渡』この作品は今日も歌舞伎の名作として残ってます。


平賀源内は高松藩の下級武士の子でした。
幼時から利発で、藩命で長崎に赴き医学蘭学を学び、その後江戸で国学を学びます。
その才能の豊かさで世間で名を挙げますが、自らのプライドの高さから、勝手に藩を逃れ、自由に活動します。

鉱山開発、発明、芸術品の制作、物産展の開催。
普通の人間が一つでも完成出来ない事を次々に成し遂げるのです。
彼の評判ぶりに時の権力者、田沼意次が目をつけた時もありますが、高松藩が阻止します。

晩年は貧しさに苦しみ、世間から「山師」と罵られ、心が不安定だったのでしょう。とうとう誤って殺人の罪を犯してしまうのです。

「功ならず名ばかり遂げて年暮れぬ」
これは彼の50歳の時に吟じた句です。

私は「非常の人」有り余る才能を持ちながら傲慢さから悲劇的生涯を送った人、と彼を捉えてました。
正直あまり好ましいタイプではなかったのです。

温和で平凡な生涯を送る人こそ、実はかなり才能がいる事ではないか、とずっと考えていました。

しかし、コロナ禍の今は違います。
生活様式や価値観が激変した今、多才で奇抜なアイデアを活かす道とは、実は最もトレンドな道ではないかと。

平賀源内の失敗は、大恩を受けた故郷の藩を裏切った行為にあります。
人の縁を大切にすれば、自負心を持ち、自分の才能を活かす事は全然悪徳では無いはずです。

あちこち目を向け過ぎる事なく、新しい発見や発明が出来る人、それが今求められているのではないかと。

こんな夢想して一瞬ワクワク、しかし自分の歳考えるといっぺんに萎みます(╹◡╹)


読んでいただき心から感謝いたします。

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