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読書の森

上杉謙信の不犯?!

「英雄色を好む」とか言われてます。日本人では、豊臣秀吉(側室300人だって!)、将軍家斉(子どもが53人)など大変なものでございます。

ところが、「越後の虎(寅年です)」と言われる英雄上杉謙信は一生不犯で女性を一切近づけ無かったと言われる(つまりどんな女性ともなさいませんでしたそうです)。
MHKの大河ドラマの『天と地と』ではどうだったか?1969年大学卒業時で記憶にありませんが。

でも、ホントなんでしょうか?下品な言葉を使うと不能だったのでしょうか?
婆になったお陰で、恥ずかしげもなく日頃の疑問を率直に出して、調査しました。


アンチョコがこの本、梅田の古本屋で購入したものです(以前別の人物の評伝を出しましたね)
著者(医者の方)から観た上杉謙信は非常に精力的な方、元気な方だそうです。
何故なら、自ら馬に乗って(未だ鉄砲など武器になってない時期)豪雪などものともせず敵陣に入り、太刀を振るったとか。相当勇猛果敢だったのです。
背は当時の平均より高め、がっしりしてどちらかと言うと太ってたそうです。

つまり普通よりずっとエネルギッシュな男性です。

上杉謙信が生まれたのは越後国(今の新潟県上越市)です。
生まれた年の暮れ、父親が病死、支えが無かった為か、幼い頃から激しい気性だったそうです。
戦国時代の武将の長男ですから、相当なプレッシャーがあったらしい。
そこで一旦寺院に預けられます。

ここら辺が不犯の誘因になったと、自分は考えます。非常にストイックな人です。
若い頃、知的で気品に満ちた姫を好きになったらしいですが敵国の娘で後々自国の禍根になると諦めたらしい(この辺が武田信玄とえらい違い)。

それにしても、お家の為だと正室側室に跡継ぎを産ませる事もなかったのは何故か?

不能説、男色だけ説、果ては謙信は実は女説、など色々あります。
ところが、著者は全部否定してますよ。

謙信は、記録にも残る物凄い酒飲みだったそうです。つまり酒の為に不能になっちゃった。
仏門(真言宗)を志したところから分かるように、非常にストイックな方で女犯を煩悩と看做した。そこで欲望を酒で紛らわす。

ついに酒が過ぎて脳卒中でトイレ(厠)で卒倒。そのまま他界された。享年49歳(数え年)、当時としては短命ではないそうです。

上杉謙信は天下人になるのも、富を得る事も全然望まない、言わば変人です。ただ愛する国を守り抜いた、とっても興味深い方であります。

おまけ
ちょっと見栄えは悪い(ちょっとどころじゃないですが)。
出盛りの鱈を使った料理。
鱈のムニエルにポテトと人参の電子レンジ蒸しを添えたモノです。

簡単でリーズナブルですよ❣️


読んでいただき心から感謝いたします。

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