城下町に生まれ育った人なら、その町が私の城下町になりますね。
私の城下町は岐阜県の大垣です。岐阜県は美濃と飛騨ではかなり違いがありますが、美濃大垣です。
町の中心部にたつ大垣城は関ヶ原の合戦で、西軍の石田三成が本拠としたところでございます。
もっとも石田三成の居城は近江(滋賀県)にあって、いわばこの城は立地が良かったのと、戦って荒らしても良い(?)と思われたのか、戦の為選ばれた城です。
一見小さな平城です。
ただ、大垣は歴史的には聖徳太子の頃から開けた場所です。周辺に澄んだ川が多く、非常に良質な水が得やすい(井戸が豊富)、そして交通の便が良い地だったからですね。
大垣城は歴史的意味もあって戦前国宝に指定されてましたが、空襲で消失して、今残るのは戦後再現された建物です。
この大垣、東海地方で最初の鉄道が敷かれた場所でもあります。
駅構内は昔のままの姿を保ってます(正直古いです)。バリアフリーはきちんとされてますので、念のため。
大垣の人は一体にかなり保守的で、節約を旨としてるのです。
老舗の菓子屋(江戸時代から続いている)の場所も店の佇まいも、私の幼い頃(昭和20年代)と全然変わってないようです。
老舗の菓子屋(江戸時代から続いている)の場所も店の佇まいも、私の幼い頃(昭和20年代)と全然変わってないようです。
ここは夏場は店先で冷たい水饅頭を供します。お安いです。若い日の母と一緒にこの店で食べた思い出は忘れられません。喉越しがつるりと瑞々しく、ここの水饅頭が私には一番美味しく思えます。
大垣の水の質の良いのが活かされているのでしょう。
水饅頭をいただいた後、店の方に
「この町が私の故郷なのですよ。お迎えも近いので行ける内に行こうと来たのです」
と余計な事を漏らすと、「さもありなん」という感じで頷かれたので、自分で言った癖にガックリしました。
お迎えが近い程衰えて見えたのかと。まあコロナですしね。お愛想で頷いたのだと気を取り直します。
それはとも角、一番の名物、戸田の殿様にも献上した金蝶饅頭をお土産にしました。
それから、テクテクと舗道を真っ直ぐに歩きました。
この町は比較的小さいし、ほぼフラットで、縦横の道が明確なのでとても分かり易いです。
この町は比較的小さいし、ほぼフラットで、縦横の道が明確なのでとても分かり易いです。
お城が中心部の廓町にあります。廓と名のつくところにお城がある町は珍しいのではないでしょうか?
お城に入ると国宝だった頃の城の写真が飾ってあります。
お城に入ると国宝だった頃の城の写真が飾ってあります。
この城の姿は変わりませんが、町の賑わいは異なります。
かなり寂れてる感じです。コロナのせいもあるでしょうし、新幹線から外れた事もあるでしょう。
以前もっと広々してたお城の公園も一般の店が建て込んでいます。
石の階段はほぼ昭和のままで、私は残念ながら登れません。
石の階段はほぼ昭和のままで、私は残念ながら登れません。
この先を行くと有名な松尾芭蕉の句碑があります。
大垣は名作『奥の細道』の旅の終わりの地なのです。
今は、大垣城より芭蕉の碑を観に大垣の地を尋ねる人が多いようです。
大垣の町、裏道の夕暮れです。人っ子一人いません。
大垣の町、裏道の夕暮れです。人っ子一人いません。
以前のそれなりの大勢の人が歩く穏やかな日々が蘇るのを心から祈ります。
ただ、こんな町中に於いても、気のせいか空気が非常に澄んで夕方の風が心地よいのは変わりないです。
美しく黄昏れた大垣駅、昭和20年代駅前の公園に亀の住む池がありました。今は整備した噴水に変わってます。
美しく黄昏れた大垣駅、昭和20年代駅前の公園に亀の住む池がありました。今は整備した噴水に変わってます。
鳥が群れをなして寝ぐらに帰り、夏の終わりを惜しんでか蝉が一斉に鳴きだして、それを耳にしながら、私は故郷を後にしました。
帰宅後、金蝶饅頭を日本茶でいただきます。見栄えは冴えませんが、味はとっても❣️美味しいですよ。
ただし全然日持ちはしません。直ぐに冷凍して鮮度を保った方が良いみたいです。
「故郷は遠くにありて思うもの」と室生犀星さんは詩に書いてらっしゃるけど、やっぱり久しぶりに訪れた生まれ故郷は私にとって物凄く宜しかったです。