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童謡(どうよう)

2023-05-05 18:52:56 | 合唱
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フリー百科事典
童謡


ジャパンサーチ · TWL(2020年9月) 「仲よし家庭音楽会」(ビクター・レコード、1961年)のシングルレコード。盤面に「童謡」の文字が見える。

童謡(どうよう)とは、広義には子供向けの歌、または子供が歌う歌を指す。
狭義には日本において大正時代後期以降、子供に歌われることを目的に作られた文学作品と、それに作曲が施された歌曲を指す。
創作童謡とも[1]。この意味で用いる場合は、学校教育用に創作された唱歌や、自然発生的に作られたわらべ歌(自然童謡、伝承童謡)などは含まれない。さらに、従来の(狭義の)童謡を排斥して広められた新しいこどものうたなどを除いて考える場合もある。ただし日本国外で作曲された子供向け歌曲についても、同様の傾向をもつものを日本国内で「童謡」と呼ぶことがある[注釈 1]。

歴史[編集]

大正時代初期以前[編集]

古くは子供の歌といえば、いわゆるわらべ歌であった。明治期に西洋より近代音楽が紹介されると、学校教育用に唱歌(文部省唱歌)と呼ばれる多くの歌が作られた。これらは徳育・情操教育を目的に、主に文語体で書かれ、多くは日本の風景・風俗・訓話などを歌ったものである。

江戸時代には童謡という語はわらべ歌を指し、明治時代から大正時代初期には、子供の歌という意味でも使われていた[1]。
1919年(大正8年)にニッポノホンから発売されたお伽歌劇「茶目子の一日」のレコードには盤面に「童謡」の文字がある。

大正時代後期[編集]

こうした概念を一部に保持しながら「わらべ歌」「子供の歌」という意味で用いられてきた童謡という語に、「子供に向けて創作された芸術的香気の高い文学作品」という新しい意味付けをしたのは夏目漱石門下の鈴木三重吉である。鈴木は1918年(大正7年)7月、児童雑誌『赤い鳥』の創刊を契機に「芸術味の豊かな、即ち子供等の美しい空想や純な情緒を傷つけないでこれを優しく育むやうな児童文学」を子供たちに与えたいとして、これを「童謡」と定義づけた。さらに当時は「子供たちが書く詩」も童謡と呼んでいた。このため「童謡」という語には1910年代以降、
  1. 子供たちが集団的に生み出し、伝承してきたわらべ歌(=伝承童謡)
  2. 大人が子供の情操教育のために創作した芸術味豊かな作品(=文学童謡)
  3. 子供たちが創作した児童詩
という3つの概念が付与されていた。但し、これらの概念は時代の変遷に伴って変化したり混在したりした経緯もある。2000年代現在では狭義の「童謡」という語は2.の意味で定着しているが、近年ではその概念が拡大解釈され「童謡=子供の歌全般」としてとらえられ、唱歌、わらべ歌、抒情歌、さらにテレビ・アニメの主題歌など全ての子供の歌を「童謡」という語で括ってしまう傾向が目立つ[注釈 2]。

「童謡」(文学童謡)は児童雑誌『赤い鳥』の創刊によって誕生したといえるが、この雑誌に掲載された童謡には当初、曲(旋律)は付いていなかった。創刊年の11月号に西條八十の童謡詩として掲載された「かなりや」が、翌1919年(大正8年)5月号に成田為三作曲による楽譜を付けて掲載された。

これが文学童謡の嚆矢である。これまでの難解な唱歌や俗悪な歌謡曲ではない、真に子供のための歌、子供の心を歌った歌、子供に押し付けるのではなく、子供に自然に口ずさんでもらえる歌を作ろう、という鈴木三重吉の考えは多くの同調者を集め、童謡普及運動あるいはこれを含んだ児童文学運動は一大潮流となった。

『赤い鳥』の後を追って、斎藤佐次郎の『金の船』など多くの児童文学雑誌が出版され、最盛期には数十種に及んだ。中でも『赤い鳥』の北原白秋と山田耕筰、『金の船』(後『金の星』と改題)の野口雨情と本居長世などが多くの曲を手がけ、童謡の黄金時代を築いた。北原白秋・野口雨情は、『赤い鳥』から『童話』へ移った西條八十と共に三大詩人と呼ばれた。

スプレー缶などでごみ収集車火災多発、1000万円超で買い換えも

2023-05-05 06:48:55 | ニュース

スプレー缶などでごみ収集車火災多発、1000万円超で買い換えも 市「ルール守って」

京都新聞社 の意見 • 昨日 19:30

4月12日に発生したパッカー車の火災現場。リチウムイオン電池が原因とみられる(亀岡市余部町)© 京都新聞社

 京都府亀岡市で、ごみを収集するパッカー車の火災が後を絶たない。本年度も4月12日に余部町であり、2019年度以降で8件となった。昨年10月には車両が激しく損傷したため、1047万円かけてパッカー車の買い換えを余儀なくされた。スプレー缶やリチウムイオン電池、ライターが発火したのが原因で、市は「正しく分別されていれば起きなかった。ルールをきちんと守ってほしい」と強く訴える。

 千代川町の住宅地で昨年10月5日、埋立てるしかないごみ(陶磁器、ガラス類など)を回収していたパッカー車から、激しい炎と煙が上がった。市資源循環推進課によると、スプレー缶の可燃ガスが積載部で充満し、別の袋に入っていたリチウムイオン電池から火花が出て引火したという。作業員にけがはなかったが、車両は廃車となり新車を購入した。

 スプレー缶やリチウムイオン電池、オイルが残ったライターは、パッカー車の圧縮機で押しつぶされると発火するおそれがある。市ではスプレー缶は空き缶と、リチウムイオン電池は乾電池やコイン電池などとそれぞれ一緒に、ライターは個別に回収している。

 8件の火災は、埋立てるしかないごみか燃やすしかないごみ(生ごみなど)に混入していた。市は分別が不十分なごみは回収せず、警告文を張っている。だが、1台で1日最大約100カ所を回るため「全てチェックするのは難しい」(同課)上に、袋の奥に紛れていることも多いという。

 同課は「作業員のけがや、住宅に燃え移る危険もある」として、SNSも活用し市民に注意を呼び掛けている。