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線路内にカメラ持ち立ち入り 東海道線一時運転見合わせ

2023-05-13 22:19:40 | ニュース
線路内にカメラ持ち立ち入り 東海道線一時運転見合わせ 小田原
2023年5月13日 21時15分 神奈川県
13日夕方、神奈川県小田原市のJRの踏切近くの線路内にカメラを持った10人ほどが立ち入り、東海道線が一時、運転を見合わせました。
多くの鉄道ファンが撮影に訪れるところだということで、警察がいきさつを調べています。
13日午後5時半ごろ、小田原市江之浦の「江ノ浦踏切」の近くの線路内に10人ほどがいるのを回送列車の運転士が見つけ、列車を止めました。

列車と接触した人はおらずけが人はいませんでしたが、JR東海道線は踏切の近くの区間で20分ほど運転を見合わせました。

JRから通報を受けた警察によりますと、立ち入ったのはカメラを持った10人ぐらいで、踏切の近くに荷物が置かれていたということです。

ただ、警察が現場を訪れたころには誰もいなかったということで、警察がいきさつを調べています。

「江ノ浦踏切」の近くに住む住民によりますと、踏切の近くにはトンネルが2つあり、その間を走ったり踏切の間近を走ったりする列車を撮影することができ、休日には多くの鉄道ファンが訪れるということです。

過去には、鉄道ファンが線路付近に立ち入って列車をとめたこともあるということです。

住民は、NHKの取材に対して「きょうも30人から40人ぐらいの鉄道ファンが近くを歩いているのを目撃しました。踏切の近くにパトカーが止まっていたので何かあったのかなと思っていました」と話していました。

第一次オイルショックが起きた1973年、全国のスーパーからトイレットペーパーが消えた。

2023-05-13 19:35:01 | ニュース
2023年4月30日 19時21分
第一次オイルショックが起きた1973年、全国のスーパーからトイレットペーパーが消えた。

その発端とされているのは大阪のあるスーパーだった。

なぜトイレットペーパーは消えたのか。

あれから50年。店が閉店するのを前に、当時を知る人たちを訪ねると意外な理由が見えてきた。
「これはえらいことや」
「当日出勤したら、午前10時の開店前に200人ぐらいの大行列ができていた。もうびっくり仰天。これはえらいことやと。」

1973年10月31日。

大阪・千里ニュータウンのスーパー「大丸ピーコック 千里中央店」の従業員、清水暉人さんは目を疑った。

突然、主婦たちが押しかけ、トイレットペーパーを次々に買い求めていく。

これまで、トイレットペーパーを買うための行列なんて見たことがなかった。
訳が分からない。

行列騒ぎは連日起き、新聞やテレビを通じて全国へ伝えられた。1973年11月2日 毎日新聞朝刊
『買いだめ騒ぎ』広がる
「一日、大阪・千里ニュータウンの「大丸ピーコック」で、午前十時の開店を前に主婦ら二百人以上がナガーイ列。トイレットペーパーを手に入れるため」当時の店員 清水暉人さん
「なんとか騒動が収まってほしいと思って、トイレットペーパーの製造メーカーを走り回り、店に商品を届けてくれるようにお願いしてまわりました。当時、毎日トイレットペーパーの夢を見るほど大変でした」当時のことを住民たちは今でもはっきりと覚えているという。住民 赤井直さん
「陸橋の反対側まで、大勢の人々が2・3列になって整然と並んでいた。みんな子ども連れですよ。小さい子どもを連れた人がたくさんいてたから、よけい人数が膨らんで見えた」住民 山口靖利さん
「並んだけど店の中は入れへん。店の前で「もうこれで終わりです」言われてしまいやん。みんなで『えぇっもう売り切れたん』って。『隠してるんちゃうの?』っていう人もおった」買いだめの対象はやがてトイレットペーパー以外にも砂糖や塩、洗剤などさまざまな日用品に及び、全国的な“モノ不足パニック”へと広がった。1973年 大阪市内でトイレットペーパーを求める行列第4次中東戦争をきっかけに始まったこの騒ぎ。

背景には、原油価格の引き上げや供給量の削減が決まり、あらゆる物の値段が上がるのではないか、という世の中の不安があった。

いわゆる「オイルショック」だ。

各地で物が買い占められている様子は「オイルショック」の象徴的なシーンとして、中学校の歴史の教科書にも載っている。
ニュータウンならではの事情が…
でもなぜ、真っ先にトイレットペーパーが無くなったのだろうか。
そこには、この街ならではの事情があった。

大阪万博が開かれた1970年にかけて建設された、千里ニュータウン。
5階建ての団地などに、若い世代が一挙に入居してできた新しい街だった。上下水道完備で、当時はまだ30%程度の普及率だった水洗トイレが、この街では各家庭に当たり前のようにあった。

従来のくみ取り式のトイレでは、主に「ちり紙」と呼ばれる紙が使われていたが、水洗トイレでは水に溶けるトイレットペーパー以外は使えない。住民 山口靖利さん
「トイレに“トイレットペーパー以外は使わないでください”って書いてあったのに、代わりに新聞紙を流して詰まった人がいっぱいいた。下の階で詰まったらアウト。上の階まで汚物が上がってしまう。トイレットペーパーが無くなるのを想像するのが怖い」千里ニュータウンに暮らす12万人にとって、トイレットペーパーは“生活の命綱”だった。

そこへ、あるうわさが流れたという。住民 赤井直さん
「八百屋さんのおばさんと話してたら、こられたお客さんが『大変や。オイルショックでトイレットペーパーがなくなるらしいよ』っていうんです」

「『え、何で?』って聞いたら『なんか知らんけど、オイルショックで機械を動かす油がなくなるから、トイレットペーパーが作れなくなるんだって』と」

「みんなが驚いて『え、本当?トイレットペーパーがもう作れなくなるの!?そりゃ大変や!』って」うわさ自体は、情報の出どころすらもわからない、不確かなものだった。

当時、紙の需要が高まったため、通産省から紙の節約が呼びかけられていて、役所にも古紙回収箱などが設置されている状況だった。“オイルショックでトイレットペーパーが作れなくなる”という真偽不明の情報はあっという間に広がっていく。

若い子育て世代が多く、住民どうしの助け合いが当たり前だった町では、うわさの“拡散”も早かった。

住民の多くが入居していた団地は階段を挟んで玄関どうしは向かい合わせ。

こうした団地ならではの構造も、拡散に拍車をかけたという。住民 赤井直さん
「お互いにドアを開ける音が聞こえるから、こちらがドアを開けたら向こうも顔を出して、日常的にいろんな話をしている。同じ階段を共有する10軒で集まって、知っていることはなんでも共有していた」

「『5分あったらわぁーっとうわさが広がっちゃう』っていう意味で『千里5分』と言っていたくらい、この街では情報の広がりが速い」このころ、町のあちこちのお店でトイレットペーパーが次々と売れ始めていた。
重なった偶然
実はこのとき、まだトイレットペーパーは十分にあった。翌年の国民生活白書にも「生産実績は落ちているわけではない。生産の不足はなかった」と記されている。

むしろ前の年よりも多く生産されていたのだ。

しかしタイミングが悪かった。

10月31日、「大丸ピーコック」の新聞の折り込み広告に特売品として載っていたのが、トイレットペーパーだった。

1パック4ロール入りで138円。

予想を上回る客が殺到し、用意していた分があっという間に売り切れた。オイルショックの6年後 取材を受ける清水さん当時の店員 清水暉人さん
「いつも水曜日にチラシを入れていて、たまたまこの日はトイレットペーパーが特売品だった。特売は1か月ほど前から計画していて、まさかあんな事態になるとは想像していなかった」「どんな商品でもかまわないからほしい」

特売品がなくなった後も、客が後を絶たない。

そこで清水さんたちは、別の商品をふだん通りの価格で店頭に並べた。
それでもトイレットペーパーは飛ぶように売れていった。

この騒ぎを新聞記者が聞きつけていた。

当時の新聞には、店内で奪い合うようにトイレットペーパーを買い求める人々の写真と共にこんな記事が載った。<1973年11月1日 毎日新聞 大阪版 夕刊>
紙の狂騒曲
「折込み広告では「一個(四巻き)百三十八円」となっていたのに、品切れを理由に実際の値段は『一個二百円』。アッという間に六十二円も“値上がり”したわけだが、主婦はこぼしながらも買いあさり、開店三十分で全部売り切れてしまった」清水さんにとっては寝耳に水だった。当時の店員 清水暉人さん
「特売品が無くなったから通常の値段の商品を出しただけなのに、値上げしたみたいにセンセーショナルな書き方をされた。本当に憤りを感じた。特売チラシがきっかけになって騒動が広まったとまで言われることもあった」
「嘘だと分かっていても買ってまう」
清水さんの店に行列ができているという話は「トイレットペーパーがなくなる」といううわさと一緒にすぐ広まった。

「そんなはずはない」と思いながらも、つい買いだめに参加してしまったという人もいた。

86歳の山口靖利さんもその一人だ。1979年 大丸ピーコック店内住民 山口靖利さん
「『トイレットペーパーがなくなる』といううわさは聞いていたけど『そんなアホなことはない』と信じていなかった。どうせ単なる店の売り惜しみだろうと」

「だけど、嫁はんに呼ばれて実際に行列を見たら『やっぱり本当に無くなるのか』と思った。戦後、物がなくてお金を持っていても買えなかった経験が身に染みているから、『明日あらへん』というのは嫌、もうこりごり。買いだめするのは悪いと分かっていても、家族のためにも買っておかなきゃしょうがないと」山口さんは、会社の慰安旅行先でもトイレットペーパーを買って帰ってきたという。そのころトイレの棚には、6パックが所狭しと詰め込まれていた。

当時のニュースでは「生産は順調」だと盛んに伝えられたが、騒ぎはすぐには収まらなかった。

関西各地で棚が空になったり、人が殺到している様子が伝えられていた。

ようやく落ち着いたのは、やがて店に大量の商品が入荷されるようになってからだった。

人々が躍起になって買いだめに走った、トイレットペーパー騒動。
その実態は、ニュータウンという特殊な環境に、不安な社会情勢やさまざまな偶然が積み重なり、うわさが広まったことによるものだった。

千里ニュータウンの歴史に詳しい専門家はこう指摘している。関西大学総合情報学部 奥居武 特任教授
「住民も若くて行動力があり、同世代が多くて口コミの回りも早く、人口もほぼピーク。4人家族が多くトイレが使えないと困る…といった諸条件が重なったために、騒ぎにブーストがかかった。この出来事は『千里ニュータウンの黒歴史』として、長く住民が口を開くことははばかられてきたが、絶対的な悪人は、誰もいなかった」
再び消えたトイレットペーパー
それからおよそ半世紀。
トイレットペーパー騒動は再び繰り返された。

2020年、新型コロナウイルス感染拡大の不安のなか、SNSで広がった「トイレットペーパーが不足する」といううわさが発端だった。全国各地のスーパーやドラッグストアに、買いだめをする客の行列ができた。

「ウソだとはわかっているけど買ってしまう」という声がまた聞かれた。

そのころ、NHKは全国のニュースで「在庫は十分」だと繰り返し報じている。大量のトイレットペーパーの映像と共に。この騒動を、オイルショックに振り回されたスーパーの店員だった清水さんは冷静に見ていた。当時の店員 清水暉人さん
「また『何でかな』と。人間って変わらへんのやろうね。トイレットペーパー騒ぎを若いときに経験した方が、コロナ禍でまた買い急ぎしている。そして次の世代も同じ行動を起こしている」

「50年前も、1パック買えばいい人が2つも3つも買ったから品薄になったんだと思う。普通の家庭で消費するだけなら、そんなに慌てて買う必要はない。もうこんなことがないように願っていますよ」
スーパーは姿を消しても
うわさ話が広がると、それが真実に見えてくる。
近所のおしゃべり、マスコミ、SNS、伝える手段は変わっても、デマの本質は変わらないのかもしれない。

そんな歴史を見てきたスーパーが入る商業施設が4月30日に閉館し、53年の歴史に幕を閉じた。閉店を見届ける人たち店はたとえ姿を消しても、当時の経験と教訓は忘れないようにしたい。二度とトイレットペーパー騒動を繰り返さないために。大阪放送局 映像制作
蓑輪幸彦
2010年入局。ふだんはニュースの映像編集を担当。去年から千里ニュータウンの歴史や市民活動を取材。トイレットペーパーを使いすぎ家族によく怒られる。 

阪神、DeNAと同率で首位浮上!岡田監督、史上25人目の600勝大竹、球団3人目の開幕か…

2023-05-13 19:13:33 | ニュース
阪神、DeNAと同率で首位浮上!岡田監督、史上25人目の600勝 大竹、球団3人目の開幕から5戦5勝 今季最多の貯金6
2023/05/13 17:19
 6回、牧を併殺に仕留め、雄たけびを上げる大竹(撮影・高部洋祐)
(デイリースポーツ)
 「阪神7−2DeNA」(13日、甲子園球場)

 阪神が3連勝し、岡田彰布監督(65)が、史上25人目の監督通算600勝を挙げた。今季、土曜日は4戦全勝。貯金6は今季最多で、DeNAと並んで首位に浮上した。

 開幕から4連勝中の先発・大竹は6回4安打1失点と好投した。三回1死でガゼルマンに二塁打を許し、その後2死二塁からソトを飛球に打ち取ったかと思われたが…、右翼・ミエセスの前にポトリと落ちる不運な先制打を許した。その後、二、三塁とピンチが拡大したが、最後は牧を左飛に仕留め、なんとか最少失点に仕留めた。

 チームは三回に逆転に成功し、大竹も四回以降はテンポ良くアウトを重ねていった。リーグトップの5勝目。球団投手の開幕5戦5勝は1937年・御園生崇男、04年・福原忍に続いて3人目の快挙となった。

 打線は、相手先発ガゼルマンの自滅&守備陣のミスなどもあり、1点を追う一挙4得点した。木浪の死球、続く大竹の四球で無死一、二塁と好機を拡大。ここでバッテリーエラーが出て木浪が三塁に進むと、「しっかりコンタクトできたと思います」と近本がツーシームを捉え、一、二塁間を破る同点適時打を放った。

 さらに、中野も四球で歩き満塁とすると、「ダブルプレーだけを避けなければいけない場面だったから、センターに打球を運ぶようなイメージで」とノイジーの犠飛で勝ち越しに成功。大山の三ゴロを宮崎がファンブルする間に1点を追加した。佐藤輝も中前にはじき返し、2日連続のビッグイニングを演出だ。


都内で3年ぶり「はしか」の感染確認

2023-05-13 18:58:00 | ニュース
https://news.infoseek.co.jp/                       都内で3年ぶり「はしか」の感染確認 30代女性と40代男性が入院 4月と5月に新幹線を利用
FNNプライムオンライン / 2023年5月12日 19時53分

東京都内で3年ぶりに、はしかの感染が確認された。
5月3日、都内在住の30代女性と40代男性のはしかの感染が確認された。2人は都内の病院に入院している。

都内ではしかが確認されたのは2020年2月以来3年ぶり。
2人は4月23日、東海道・山陽新幹線のぞみ50号の9号車(グリーン車・新神戸駅18:52発→東京駅21:33着)を利用していたという。

また、男性は発症後の5月4日、東海道新幹線こだま740号の10号車(グリーン車・三島駅18:54発→新横浜駅19:29着)に乗車していたということだ。

都は発熱、発疹など、はしかを疑う症状が現れた場合は、必ず事前に医療機関にはしかの疑いがあることを伝え受診するよう呼びかけている。



14歳男子中学生を誘拐で30歳男を逮捕SNSで知り合い自宅へ

2023-05-13 18:51:39 | ニュース
14歳男子中学生を誘拐で30歳男を逮捕 SNSで知り合い自宅へ
2023/05/13 17:00
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(TBS NEWS DIG)
SNSで知り合った14歳の男子中学生を誘拐したとして、福岡市の30歳の男が逮捕されました。

未成年者誘拐の疑いで逮捕されたのは、福岡市東区の会社役員・亀井雄(30)容疑者です。

警察によりますと亀井容疑者は福岡市内で、今月4日ごろから12日までの間、SNSで知り合った千葉県内に住む中学校の男子生徒(14)を誘拐した疑いがもたれています。

今月7日、男子生徒の父親が「6日の15時50分ごろから息子が自宅からいなくなった」と警察に行方不明届を提出し捜査していたところ、12日に亀井容疑者が山口県下関市に潜伏しているところを発見しました。

その後、亀井容疑者が「男子生徒は福岡の自宅にいる」と話したことから、自宅を捜索したところ、男子生徒がいるところを見つけ、保護しました。

男子生徒にけがはありませんでした。

警察の調べに対し、亀井容疑者は容疑を認めているということで、2人がいつから一緒にいたかなど、事件のいきさつを調べています。