だいぶ以前、妹と千葉の神社を参拝した時に、偶然竹内神社をみつけ行ってみました。フキアエズ神社に行ったあと、その流れで平将門神社と竹内神社を偶然見つけます。小学校の校庭を通って神社境内に入っていきました。
竹内神社の名前に、武内宿禰様と関係あるのかなぁと話した記憶があります。ただ、あまり詳しくなくて、行ったはいいものの、何をされた方だっけ?と話していました。
武内宿禰様は第8代天皇の孫で長寿の神様で、第12代から16代の歴代天皇に仕えたとされています。そのため、年齢は360歳を超えていたとか。(そんなバナナ🍌)
紙幣の肖像にもなった御方で、昔の方はよく知っていた方のようですね。
神功皇后の子、応神天皇(ホムタワケ皇子)を抱く姿を描かれたり、日枝神社の山車人形にもありますね。
まるで、我が子を抱くようなお姿。白髭なので、孫かな。。。神功皇后が筑紫で過ごした3年間、側で力になった御方です。
年齢のカラクリは、まるで、浦島太郎を思わせます。年齢をながーくすることで、辻褄が合わない何かを有耶無耶にしたかったのかもですね🤔だって、100歳はあっても、360歳は、いくらなんでもそんなバナナです。。。
武内宿禰に関しては面白い逸話があります。
応神天皇の子供と武内宿禰様の子供が同じ日に生まれるんです。赤子の応神天皇を抱いた白髭のお爺さんが武内宿禰様でしたよね。。。うーむ、頑張ったんですね。
同日に赤子が生まれた日、応神天皇の子の産殿には木菟(つく:ミミズク)が、武内宿禰の子の産屋には鷦鷯(さざき:ミソサザイ)がそれぞれ飛び込んだので、その鳥の名を交換して各々の子に名付けたとか。
応神天皇の子の大鷦鷯尊(仁徳天皇)と武内宿禰の子の平群木菟宿禰のお名前に、ミミズクとミソサザイがついています。
名前を交換?と、反応してしまいました。
それでは、お名前の中にある鳥のミミズクから調べてみてみました。
ミミズクには実際耳がありますね。鳥類には耳はないのに、ミミズクにはある。耳の神様は神と人を繋ぐんです。フクロウは空を飛ぶ森の王様。
「耳付く」もしくは「耳突く」の意味。ツクはミミヅク(ミミズク)の略で、ツクは「角毛」の意味もあるようです。角がありますね!さらに「ミミ」をつけているということは、神様とのアンテナが繋がっているイメージがあります。
また、ミミズクの漢名は木菟・木兎(ぼくと)といいます。うさぎです。白兎について書いていましたが、どこか月の神や、陰ながら支える神のイメージがあります。
ミミズクには、他にも、色んな呼び方がありますが、角鴟(かくし)ともいいます。フクロウ類の総称です。
鴟はトビで、トビに関する日本の伝説としては、『日本書紀』の金鵄があり、金色のトビが神武天皇の前に降り立ち、軍勢に勝利をもたらしたという伝説もあります。
また、となりのトトロはミミズクがイメージだとか。宮崎駿さんは、かなり強いメッセージを作品の中に隠して伝えているとずっと感じています。
ミミズク(木菟)の響きは、九州に縁がありそうです。つく‐の‐しま(木菟の島)、つまり筑紫(つくし)であり、筑紫は昔は九州全体を指していたようです。
また、筑紫は、「ずくたん」からとも。ズクは頭。別の言い方で「ずくにゅう(木菟入)=坊主頭」や、または、築石(ツクイシ)が語源とか、世界の果てという意味での「尽きし」が語源とも。九州は、石垣を造り確かに海外から守っていました。また、土筆=「づくぼう」という方言もあり、「つくしんぼう」の略とも考えられます。土、ズク、ツク、土蜘蛛がいました。
言霊や語源のイメージを辿ると、頭角、尽きた、尽くす、土など古代の王朝の攻防を思わせます。
ここまでがミミズクの説明でした。ミミズクがまずは応神天皇の子(のちの仁徳天皇)が産まれたら産屋に飛んできます。そして、名前を変えられます。多分、応神天皇の命令ですね。
武内宿禰の子が産まれた時に飛んできたのが、ミソソザイ🟰サザキです。雀のような小さい可愛い鳥です。
日本書紀では、応神天皇の子、仁徳天皇は、大鷦鷯尊でしたが、古事記では大雀命、どちらも「おほさざきのみこと」とも表記しています。
ミソサザイにも、興味深い話しがありました。西欧の民間伝承においてはしばしば「鳥の王」とされ、呼称も君主や王の意を含んだ単語が用いられるようです。
アイヌの伝承の中にも、人間を食い殺すクマを退治するために、ツルやワシも尻込みする中でミソサザイが先陣を切ってクマの耳に飛び込んで攻撃をし、その姿に励まされた他の鳥たちも後に続き、最終的には神も参戦して荒クマを倒すという内容のものがあります。(九州に熊襲とかの抵抗勢力が古代にはいました。)
また、無事に根の国から戻ったオオクニヌシの国造りをともにおこなったパートナーはスクナビコナ神は、一寸法師のモデルとなったともいわれる小さな神さまです。このスクナビコナ神が大国主命と初めて出雲の岬(島根半島の西端にある美保関)であったときに着ていた着物は、ミソサザイの皮を丸はぎにしたものでした。
(このことから、スクナビコナ神は、ミソサザイ(スズメよりも小さな鳥)のため、スクナビコナの身長は10cm余だったということになります。)
スクナビコナ神は、日本書紀では、オオクニヌシがひろって手の平にのせたところ、跳ねて頬をつついたため、天神に使いを出して尋ねると、タカミムスヒ神が「私はたくさんの子どもを生んだが、いたずら好きで指のあいだからこぼれおちたのは、きっと彼だろう。かわいがって育ててくれ」といわれたと書かれていました。スクナビコナ神はオオクニヌシとともに国の統治に力を尽くしたとされている神様です。
根の国から復活した大国主命。その大国主命の国造りを助けた天孫の子スクナビコナ神はミソソザイを身につけた神。ミソソザイという小さな鳥は、どこか復活や再生、活力、創造のイメージがある気がします。
ユネスコは2019年に、仁徳天皇陵古墳を含む「百舌鳥・古市古墳群」を世界文化遺産として登録しました。
ウィキペディアによると、仁徳天皇陵の実際の被葬者は明らかでないようです。宮内庁により百舌鳥耳原中陵(もずのみみはらのなかのみささぎ)として仁徳天皇のものだろうとは言われていますが。
しかしながら、仁徳天皇陵と言われるお墓には、耳も百舌鳥もササギも名前に含まれています。
ミミズクのミミと、百舌鳥はスズメであり、サザキ、つまり、ミソソザイです。サザキは、天皇陵の意味でもあります。
まるで、この古墳に眠っておられる御方は、仁徳天皇と同日にお産まれになった武内宿禰様のお子様の両方の名前の中を併せて持っている御方のように思いました。
仁徳天皇陵の調査は宮内庁が許可していません。エジプトのピラミッド発掘もそうですが、その後携わった人が次々と亡くなります。陵の発掘調査など、畏れ多いことです。安らかにお眠りになる御魂をただ安らかにと祈る。発掘とかして知られなくて良いことは、そのままの方が良いですね。
今の日本が良い国であることは沢山の人が繋いでくださったということですから。
古代史ロマンは空想できることです。ただ空想してひとり楽しむ。それだけです。御魂が安らかでありますように。
武内宿禰様の逸話の続きをまた明日も、書いてみようと思います。