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大善人へ身魂磨き

津野山の神様

母の実家は、高知と愛媛の県境にある天狗高原の近くの山奥、高知県高岡郡津野町にあります。四万十川源流の里といわれています。


私が子供のころは高知市内から行くのも道が悪くて、うねうねの道を車で行き、車酔いをする私は、その道中の気持ち悪さを今でも覚えています。


当時は約2時間かけて行きましたが、今は道がよくなり大幅に行く時間は短縮されました。


今もそうですが、当時から辿り着けば、津野山は空気が違い、真夏でも朝晩は涼しく、また、田舎の山や川の食材を使った料理が美味しくて、人があったかい、そういう土地でした。


夏休みは川で毎日遊びました。都会に出て、川で夏は泳いだりしたというと驚かれた事があります。海じゃなくて?と。


黒のスクール水着で川遊び。まさに、田舎の子供でしたね。川縁に隠れるドンコを網で捕まえて遊んだりしました。


そんな田舎で、昔、山の上にあったお宮を、過疎で参拝や手入れが難しいからという理由で村で話し合い下におろした話を母から聞いたのは、随分昔の事でした。


その話をするときに、母は枕詞のように、そんな事せられんのに、、と言っていました。母の脳裏にも、神様に失礼なことを村人がしたという事が焼きついていたのでしょう。


重罪とは現世では色々あります。お宮を壊す行為は、現世でも然りだとは思いますが、誰もが亡くなり肉体を失うあとに行く世界では、とんでもない重罪、償いきれない重罪だと聞いた事があります。


肉体がなくなったら、償うことができないのは当然ですが、それほど故人があちらの世界で後悔する行為だということであり、その罪の深さからかその故人の縁者は7代まで代々祟られるとさえ聞いた事があります。祟りは因果、原因があり、集団責任なのかもしれませんね。


それは、その土地を陰になり支えてくだり、地球創生から悠久の時、それは数えることもできないほどの永劫の時を繋ぎ結ぶ目に見えないけれど確かに存在する神や精霊、善なる存在を、

ほんの僅かな刹那の時間に生きた、活かしてもらえた人間の、判断でなされる、土地への感謝を忘れた不敬な行為故かもしれません。

壊す行為はあっという間ですが、復興はなされない可能性があります。だからこそ、伝統などもそうですが、 壊す行為を安易にしたらいけない気がしています。


太古からの祈りの蓄積を跡形もなく消す行為は、如何なる理由があっても許されざる行為なのかもしれません。


妹が山さんと繋がり、お宮を復興させるチャンスをいただき、直感のまま行動し、母と道作りからスタートし、周囲に畝りを興しお宮を復興させました。


金比羅様、恵比寿様、耳の神様。


母の実家の目の前にある三つの山に鎮座されています神様です。


津野山神界は、龍仙界であるかのように、近くの稲葉洞には白龍神と黒龍神がおり、また別に少し行くと美しい白龍湖もあります。







母の実家から30分くらいの場所には、ゴツゴツした岩のある天狗高原は、天狗の団扇で吹き飛ばされるくらい強い風を感じ、いつも空気が澄み、満天の星空を楽しめます。


そんな津野山の神界にいらっしゃる神々が未来永劫多くの方に愛されるように、妹がアルバムを作りました。


妹は写真が趣味でとても素敵に出来ています。

津野山神界が復興した軌跡を目でみて、感じることのできる一冊に仕上がっています。


自然の中に入ると、祠やお宮がなくても、確かにいらっしゃると感じるエネルギーの高い場所があります。


自然を守ることの大切さ、そして、昔から守られてきたものを壊さないことは大切だなぁと思います。


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