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大善人へ身魂磨き

大和三山 耳成山と怪談話

大和三山の香具山を書いたとき、畝傍山も少し書きました。そうすると、耳成山についても書かなきゃ駄目よねと、色々調べていました。


山の形から「耳無し」山(余分なところがない山)ともいわれ、「耳がない」ことからか、麓にはかつて「口無しの井戸」、「目隠し川」があったとされる、とかトリビアが紹介されていました。


耳成山の神社の祭神は高御産霊神(たかみむすびのかみ)と大山祇神(おおやまつみのかみ)のニ柱であるようです。明治時代以前は農耕神・水の神を祀る天神社であったとされ、雨乞いの神事が行われたという記録も残されているみたいですね。尊い神様のお山です。


耳成の名前からは、怪談話しを私は想像してしまいます。


耳無芳一の怪談は、明治時代の小泉八雲が妻の節子の話をもとに書きました。小泉八雲は、ラフカディオハーン。当時珍しい国際結婚をし、日本の英語教育に尽力した方。


あの素戔嗚尊の詠まれた八雲立つの和歌から日本名、八雲をつけたようで、小泉節子と結婚し出雲の地にも縁がある方です。




ラフカディオハーン検索画像より

耳無芳一の話は、目の見えない芳一を主人公に、安徳天皇や平家一門を祀った山口県にある阿弥陀寺(現在の赤間神宮)を舞台とした怪談話しです。


耳にだけお経をかかれていなかったため、平家の怨霊が耳だけを持っていき、その後怨霊はおさまった、、、という話。お経を身体中に書かれた姿や、耳を切られる話し、幽霊は見えた事ないけど、想像してしまうので聞くのも怖くて、昔はかなり怪談話は苦手でした。


平家の怨霊の話からこの話は出来ていますから、それだけ源平合戦は凄まじかったということだと思いますし、無念に亡くなった平家の怨みは恐ろしいと考えられていたのですね。兎に角、人と人の闘いは嫌ですね。


平家落人は四国にも沢山逃れてます。実は、安徳天皇は生き延びて高知の山中で余生を過ごした話しが高知にはあります。墓地もあったりします。何が本当かはわかりません。


ところで、耳無芳一の話に戻ります。目の見えない芳一には、怨霊は見えていませんでした。目の見える人が怨霊を見て芳一にお経を書きます。しかし、目の見えない芳一にとって大切な耳にだけお経を書き忘れてしまいます。その結果、芳一は怨霊に耳を奪われてしまいます。


芳一は琵琶を弾きながら、実際には目が見えないけれども、耳や感覚でわかる事が沢山ありました。大広間で人が沢山いる様子とか話し言葉でどんな人達か等がわかったのです。


自分の感覚気管に無いものを補うように目の見えない芳一には耳が目の役割をしていたといえます。


この話には、目が見えない人は、目が見える人以上に耳が目の役割を果たす一方、目が見えていても大切な事を見落とす人への皮肉もありそうです。


見えていないのに見えるとか、聞こえなくても聞こえるという事では、なんとなく感じたり、閃き、胸騒ぎを虫の知らせといったりします。第6感なのか、勘なのか、テレパシーなのか。内なる声なのか。


耳で観て、目で聴く大切さをこの間教えてもらいました。目や耳は、単に感覚器官を超えるものでありそうです。


耳成山。耳無山。耳梨山。大和三山のひとつ。耳無芳一の話が暗示することは深いです。


昨日の話に戻りますが、熊さんの携帯に入った聲网山の漢字。漢和辞典でしらべやっと解った2つの漢字。聲は声。は、罔、網とも网を、罔とすると、日本書紀の罔象女神(みつはのめのかみ)の漢字の一字です。罔を象る神。アミはアメにも響きが似ています。貴船神社丹生川上神社の御祭神、水波能売命、罔象女神。水を司る神様。


聲なき声を感じとり聴きなさい。水の神様の聲を。耳が無くても聴こえる聲を、全ての感覚を研ぎ澄まして感じなさい。畝傍山は火に縁がある名前。森林は自然に発火したりします。大和三山は其々がお互いに絡み合い何かを語っているようにも思えます。


ところで、高知県津野町にある津野山神界には耳の神様がいらっしゃいます。四万十川を生み出す地域の神様。耳の神様。龍神様かもと教えていただきました。人と神を繋ぐ神様のようです。龍神様には、耳が無いとも教えていただきました。


耳の神様も聲なき声で何かを伝えてくださっている気がします。

何か新たな岩戸が開くといいなとも思っています。


【写真は耳成山検索画像より】

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