4/27の金曜日の夜は、ラテン語の今期2回目の講座が
開かれる予定だったが、先生急逝のため、
お別れ会をすることにした。
いつもは先生がCDラジカセまで持参されて
グレゴリオ聖歌やミサ曲などを聞かせて下さっていたので
今回は私が自宅から小さいラジカセを持って行った。
お茶やお菓子の準備の為に1時間早く着いたので
聖歌を流しながら準備をしていると、
通りかかった神父様が声をかけられた。
「今日は何がありますか?きれいな音楽がありますね」
ここの主任司祭だったと思うが定かでない。
「Y先生のお別れ会をするのです」と言うと
ああ、とうなずかれ、悲しそうな顔になった。
聖歌が流れていると、本当にその教室にまだ
先生がいらっしゃるような気がした。
しばらくすると、
信者さんのSさんが白布と十字架を持ってきて
先生の遺影をそこに立てかけ、蝋燭を灯した。
こういう手順は残念ながら私には全くわからないので本当に助かった。
その後、人数が集まり、お別れ会が始まった。
Sさんがラテン語の祈りを先唱してくださり、
Pater Noster と Ave Maria
Apsrirationes ad Ss. Redemptorem.
それから聖グレゴリオ聖歌による
「死者のためのミサ曲」の朗読をした。
Apsrirationes ad Ss. Redemptorem. 以外は
全て先生が講義中に使用された資料にあったものだった。
その後はお茶とお菓子をいただきながら
先生の思い出などについて話したが、
思い出になる以前にまだみなさん実感がわかないようだった。
それぞれラテン語を始めたきっかけなどを話した。
ご年配の受講生の方で、1950年頃に発行された典礼書
(ラテン語のミサと日本語訳が
書かれているらしい)を持っている、といった話なども出て、羨ましい限りだ。
時間になったので後かたづけをして帰宅。
これで終わりだ。
写本の解読については、亡くなる前夜の授業の時に「次の宿題を次回持って来ましょう」と
先生が言われたのだが、それは果たされなかった。
先生は私ともうひとりの
写本大好き受講生のKさんに宿題を出す時、
○○様、とそれぞれのフルネームで宛書を書いて
渡して下さるので、もし用意されていたなら
遺品の中にあるのではないか、と思ったりもしたのだが
おそらく用意している暇はなかったと思われる。
もし小説から遠ざかっても、写本の解読を
生き甲斐にできたらそれはそれで良い人生ではないか、
と思い始めていたところだった。だがそれも
中断してしまった。いや、本当に心からやる気があるなら
写本の所有者に懇願してテキストのコピーを許してもらう、
ぐらいのことをしてたった一人でも解読するだろう。
だが今の私は、また縁があれば写本と巡り会うこともあるだろう、
と緩く構えている。まだ途方に暮れているからかもしれない。
開かれる予定だったが、先生急逝のため、
お別れ会をすることにした。
いつもは先生がCDラジカセまで持参されて
グレゴリオ聖歌やミサ曲などを聞かせて下さっていたので
今回は私が自宅から小さいラジカセを持って行った。
お茶やお菓子の準備の為に1時間早く着いたので
聖歌を流しながら準備をしていると、
通りかかった神父様が声をかけられた。
「今日は何がありますか?きれいな音楽がありますね」
ここの主任司祭だったと思うが定かでない。
「Y先生のお別れ会をするのです」と言うと
ああ、とうなずかれ、悲しそうな顔になった。
聖歌が流れていると、本当にその教室にまだ
先生がいらっしゃるような気がした。
しばらくすると、
信者さんのSさんが白布と十字架を持ってきて
先生の遺影をそこに立てかけ、蝋燭を灯した。
こういう手順は残念ながら私には全くわからないので本当に助かった。
その後、人数が集まり、お別れ会が始まった。
Sさんがラテン語の祈りを先唱してくださり、
Pater Noster と Ave Maria
Apsrirationes ad Ss. Redemptorem.
それから聖グレゴリオ聖歌による
「死者のためのミサ曲」の朗読をした。
Apsrirationes ad Ss. Redemptorem. 以外は
全て先生が講義中に使用された資料にあったものだった。
その後はお茶とお菓子をいただきながら
先生の思い出などについて話したが、
思い出になる以前にまだみなさん実感がわかないようだった。
それぞれラテン語を始めたきっかけなどを話した。
ご年配の受講生の方で、1950年頃に発行された典礼書
(ラテン語のミサと日本語訳が
書かれているらしい)を持っている、といった話なども出て、羨ましい限りだ。
時間になったので後かたづけをして帰宅。
これで終わりだ。
写本の解読については、亡くなる前夜の授業の時に「次の宿題を次回持って来ましょう」と
先生が言われたのだが、それは果たされなかった。
先生は私ともうひとりの
写本大好き受講生のKさんに宿題を出す時、
○○様、とそれぞれのフルネームで宛書を書いて
渡して下さるので、もし用意されていたなら
遺品の中にあるのではないか、と思ったりもしたのだが
おそらく用意している暇はなかったと思われる。
もし小説から遠ざかっても、写本の解読を
生き甲斐にできたらそれはそれで良い人生ではないか、
と思い始めていたところだった。だがそれも
中断してしまった。いや、本当に心からやる気があるなら
写本の所有者に懇願してテキストのコピーを許してもらう、
ぐらいのことをしてたった一人でも解読するだろう。
だが今の私は、また縁があれば写本と巡り会うこともあるだろう、
と緩く構えている。まだ途方に暮れているからかもしれない。