先日の都知事選で候補者の物言いに投票した有権者からも戸惑いと後悔が広がっているようだ。
まさに「メッキが剥がれた」とはこのことをさすのだろう。
まあ、自分のポリシーやステイタスはそれこそ「自由」で人がいるだけその種類は千差万別である。
しかし、それはあくまでも個人なら許される事であって自分の置かれる立場や責任によって使い分けるのも当たり前の話だ。
例えば岸田総理はアンチから叩かれまくっているが、おそらくプライベートでは「人の良いおじさん」なのが人柄を見ていれば伺える。
しかし、それはあくまでも個人としてであり立場や責任が加われば「人の良いおじさん」ではすまなくなってくるワケだ。
個人的な意見としては「人種差別」「男尊女卑」「同性愛嗜好」など今の世の中では「ちょっと大丈夫か?」と思えるような考え方を持っていたとしても良識の範囲なら問題はないと思う。
まあ、人殺し趣味や暴力的なことは論外だが。
しかし、これが公人や仕事などの立場や責任が加われば話は変わってくるのは当然のこと。
いわゆる「ビジネスとプライベートを分ける」のが当たり前でありコミュニケーションのあり方だろう。
最近の若い人たちはこの使い分けがヘタだ。
いや、できない気質なのだろうね。
思ったこと考えた事は口に出さないと気がすまない。
また反論される事を異常に恐れてその場限りのイイワケに熱弁をふるう。
まさにネット住人のそれだ。
しかし、人とは信頼関係で繋がっているわけでアナタを理解してくれる人は信頼しているがゼロベースではただの危ない人にしか見えないのが普通だろう。
まあ、他人とは勝手に期待をぶつけてくる生き物なのでその重責に耐えられないことも多々あるワケだが、せめてビジネスとプライベートの区別ぐらいはつけられるようにしたいものだね。
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