洋服のボタンがとれてしまったので
糸を探していたら
むかしの携帯が出てきた。
そこに並んでいるEメールは
大学4年の夏ごろのものばかりなんだけど
中国研修の準備だったり
ゼミ友とのやりとりだったり
とても充実していた。
メールの合間合間では
ブログには載せないような
いま自分がどんなことを考えているかがメモがわりに
メール文に書いてあったり、
送らなかったメールの草案があったりして
読んでいて当時の情景とか、気持ちとか、空気とか、
どんなこと考えていたかのいっきに思い出される。
ほんとに、思い出さなくなってしまった記憶を
ひっぱりだして、たぐりよせて
当時を思い出させてくれる糸口がある。
過去ってのはやっぱりよく思えてしまうから
読むとやっぱ切ない。
同じ過去でも社会人1年目の自分の過去を思うと
別にキラキラしてないよなーと思ってしまって
そんな自分もまた嫌だくなる。
がむしゃらに取り組んではいたんだけど。
さっき、
ゼミ友達のブログを読んでいたら
”先の見える人生なんてまっぴらだ!”と最近の記事に
熱く書いてあった。
私も思っていた。
”いい意味で先が見えない人生がいい”って。
本気で熱く思っていた。
けど今の自分はそんなことも思わず
なんとなく先が見えそうな人生を歩んでいて
同じように”まっぴらだ”と思っていた自分までも
思い出さなくなっていて
どんどん薄っすい人間になってる。
なんにも記憶しない毎日を送ってる。
昨日、ニュースで高校球児の菊池雄星投手のインタビューがやっていた。
けっこう印象に残ったはずなのに
今日になったらもう彼の名前は忘れていた。
関係のないことを
どんどん自動的に記憶しないようにしてるんだろうな。
数分前の窓口に来たお客さんの名字が何で
どんな手続きでいくら払ったか を覚えていない仕事をしている
って言ったらみんなびっくりする?
でも今の私はそう。
そのとき、そのときにミスのないように集中したら
もう終わり。その時間を記憶するまでもない。
”ミスをしない”という意識が脳みそをかする使い方をしてるだけ。
そんな毎日だから
記憶してくものも、記憶していきたいものもなくて
貯めていたメモリーだけが薄くなっているだけ。
環境のせいじゃない
会社のせいじゃない
すべて自分にあるって分かるから、
だけどなぜか以前のように
自分に本気になれない自分から抜け出せないから。
本当にどこに向かおうとしていて
どこに行きたいんだろう。