1月17日と言えば、阪神淡路大震災のあった日だが、我々にとっても忘れられない日でもある。
小林繁総監督の命日だ・・・
あれは、5年前・・・当時丸岡に室内練習場があったのだが、2月から日本ハム1軍投手コーチの為、福井を離れる小林総監督の激励会をやる目的で
その打ち合わせにと、室内に向かった時だった。
午後13時頃、小林総監督の来るのを待っていると、隣に居た松山コーチの携帯電話が鳴った。
「ん?小林さん」と思っていたが、話していた松山コーチの顔色が見る見る変わって強張ったのが瞬時で判った。
今思うと、何故か、その時、私目の心の中に「小林さんに何かあった」と直感で感じてしまったのは何故だろうか?
電話を切った松山コーチは、
「小林さんが心肺停止で病院に運ばれた」と・・・
それからの事は正直覚えていないが、松山コーチの運転する車で、2人県立病院に向かった。
途中、呼吸困難になり2人して事故を起こしそうになった事も覚えている。
病院に着き、受付で「小林繁さんという方が運ばれていると思うのですが」と告げると、
受付「どのような関係ですか?」
私目「野球の関係者です。」
受付「しばらくお待ち下さい」
その瞬間、同姓同名の方であってくれ!と言う願いは脆くも崩れてしまった。
受付の方に案内された所には、小林さんの奥さんが・・・その瞬間現実を知った。
すぐさま、当時敦賀気比高校のコーチであった現、東監督に連絡をして、東監督、オリックスの山田投手のお父さん等が集まってきたが
急死と言う事で警察の検分が長く、なかなか会う事が出来なかったが、案内された所で小林総監督はまるで眠っているように横になられていた・・・
あれから5年の歳月が過ぎ、毎年命日になると、現オールスター福井の監督、コーチ陣、東監督などと自宅に行っていたが、
留守が多く、仏壇を拝む事が出来なかった。
室内練習場にある、遺影を必ず参る事はしていたが、お墓の所在もつかめずにいた。
どうしても、参りたい気持ちは忘れられなくて、情報を取り寄せていたが、10日ほど前、動き回った甲斐があり
ようやく、遺骨の祀られている場所がわかった。
「やっと会える」5年ぶりに総監督に会える・・・
明日は、指導者と供養に行く予定だが、どうしても一緒に行きたいと言う方がおられたら、
まで連絡を下さい。