昭和四十一年九月一日、二年生になった夢は、二学期の始業式を新しい学校で
迎えるため、道を急いでいました。新しい学校の名は戸久野第六小学校、夢が
一年間通っていた戸久野第四小学校の子どもたちが増えたため開校した
小学校です。開校したのは四月ですが、まだ校舎ができていなかったため、
一学期間は四小とその隣りの中学を、仮校舎として使わせてもらっていました。
そのため、新校舎の学校へ行くのは今日が初めてです。夢は、わくわくして
いました。
”どんなかっこうの校舎だろう。何階建てかな。やっぱり三階建てかな。校庭は
広いかな。”
などと、想いをめぐらせながら、遠くに、木々に囲まれた二・三軒の農家や林が
見えるだけの、畑の中の一本道を歩いていきます。やがて、六小が見えてきました。
六小は、どこまでも広がる青い空、まわりを遮るものなど何一つないのどかな
風景のなか、ひときわ高くそびえ建っていました。まもまく、夢は六小に着きました。
着いたとたん、眼の前に広がる光景に、夢は思わず声を上げました。
「わぁー、すごく立派!でも、変わった校舎だなあ。」
それもそのはずです。観音開きの大きな校門、四角い大きな石を組んで造られた
立派な門柱、そして、校門の幅部分だけ真四角の石をはめ込み、石畳のように
なっている校舎の前、まるで、お伽話のお城に入っていく道のようでした。校舎は
四階建てですが、遠くから見ると三階建てのように見えます。その理由は、元々の
地面を掘り下げて一階部分を造ったからでした。元々の地面と掘り下げた地面との
境は土手のようになっており、校舎一階の所まで数メートル開いていました。
そのため、校舎二階から直接校庭に出ることができません。校舎と校庭の間には
階段がかけられていました。この独特の校舎は、いつしか先生や子どもたちから、
”半地下式の校舎”と呼ばれるようになり、市外から大勢の人たちが見に来るように
なりました。