昨日の記事で、キスをしていた二人は、「勝利のキス」 で有名な二人だった!
二人の関係は初対面の、見知らぬ二人だと!
(気になる人はピンク部をクリック)
さて、本題に戻りましょう。戦艦ミズーリーの主砲の前で、撮影タイム!
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この甲板からのパノラマ画像で、一番大事なのは? 前方の山脈の中央で凹んだ部分。
ここは渓谷になっており、ここから九七式艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機、零式戦闘機の
183機から成る、第一次攻撃隊が、此処、フォード島を目掛けて侵入してきた。
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前方の白い建物は、このあと船に乗って訪問する 「戦艦アリゾナ記念館」
戦艦アリゾナが沈んでいる上に、クロス(十字架)するように、建てられている。
戦闘指揮所:通常は立ち入り禁止だけど、ガイドのムサシさんの顔パスで見学
戦闘態勢 になると、興奮を抑えるために、青色のランプが点灯するそうな…
赤ランプ点けたら興奮して、ミサイル発射のボタンを押しまくったら、いかんけん
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第二主砲後方に、白いテントが斜めに掛かっっているのが、確認できるだろうか?
この右舷甲板の小さなスペースこそが、昭和20年9月2日 東京湾に停泊した、ミズーリーの
甲板で行われた、大日本帝国の 降伏文書調印式 の場所であった
そして午前9時、戦闘指揮所横のキャビンで待機していた、ダグラス マッカーサー元帥が
戦争の終わる道 として、このタラップを降りてきた。
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マッカーサー元帥は調印書サインに使用したペンは 価値あるペン と認識しており、
矢印の部分に、Douglas Mac Arthur と2通の調印書に、5本のペンを変えながらサインした。
下の調印書は、カナダ代表のエル・コスグレーブ大佐が署名する際、自国の署名欄ではなく
一段飛ばしたフランス代表団の欄に署名した為、アトの3カ国も前に習って、他国の欄にサインした
間違いだらけの調印書である。
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この時、甲板上に2枚の星条旗が飾られていた。
1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物(連邦48州の星が描かれた星条旗)、
もう1枚は1853年の黒船来航で江戸湾に現れた ペリーの艦隊 が掲げていた物
(連邦31州の星が描かれた星条旗)であり、90年越しの勝利として日本に 屈辱 を与えた。
このようなやり方が、ガイドのムサシさん曰く アメリカ的 アピールだそうな
(あまりにも表面が汚いので、裏向きに飾った)
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艦の中央部で、外を覗き込めとムサシさんが言うので、覗いてみると、船体が凹んでいた。
神風 attack と呼ばれる、特攻機が突っ込んだ跡だそうだ
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この時のパイロットは、石野節雄二等兵曹 と思われる。 弱冠19歳
当時、米水兵が甲板上に残った遺体の一部(上半身)を、海に流し落とそうとしていたを制した、
ウィリアム・キャラハン艦長は、反対のある中、勇敢な日本軍搭乗員を海軍葬の水葬で弔った。
涙と鼻水が出て、話が先に進みません
10時45分:アメリカ海軍の大型ランチボートで、アリゾナ記念館に渡りました。
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日本軍の攻撃で戦死した兵士の お墓 なので来訪者は、ほとんどがアメリカ人です。
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日本人も真摯な態度で、訪れたらいいと思います。
70年以上経っても、未だに船体から油が漏れて、海面に上がってきます。
戦没者のメッセージ?と、理解されているようでしたが、日本だったら汚染騒ぎかな?
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ボートからアリゾナ記念館を振り返って、合掌!
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ボートから戦艦ミズーリーを振り返って、敬礼!
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攻撃練習をした三机湾と、似ているか?と、問われれば、似ているような気もする。
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早朝からのツアーであったが、疲れを感じる暇もないほど、有意義であった。
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さて、本題に戻りましょう。戦艦ミズーリーの主砲の前で、撮影タイム!
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この甲板からのパノラマ画像で、一番大事なのは? 前方の山脈の中央で凹んだ部分。
ここは渓谷になっており、ここから九七式艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機、零式戦闘機の
183機から成る、第一次攻撃隊が、此処、フォード島を目掛けて侵入してきた。
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前方の白い建物は、このあと船に乗って訪問する 「戦艦アリゾナ記念館」
戦艦アリゾナが沈んでいる上に、クロス(十字架)するように、建てられている。
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戦闘指揮所:通常は立ち入り禁止だけど、ガイドのムサシさんの顔パスで見学
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戦闘態勢 になると、興奮を抑えるために、青色のランプが点灯するそうな…
赤ランプ点けたら興奮して、ミサイル発射のボタンを押しまくったら、いかんけん
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第二主砲後方に、白いテントが斜めに掛かっっているのが、確認できるだろうか?
この右舷甲板の小さなスペースこそが、昭和20年9月2日 東京湾に停泊した、ミズーリーの
甲板で行われた、大日本帝国の 降伏文書調印式 の場所であった
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そして午前9時、戦闘指揮所横のキャビンで待機していた、ダグラス マッカーサー元帥が
戦争の終わる道 として、このタラップを降りてきた。
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マッカーサー元帥は調印書サインに使用したペンは 価値あるペン と認識しており、
矢印の部分に、Douglas Mac Arthur と2通の調印書に、5本のペンを変えながらサインした。
下の調印書は、カナダ代表のエル・コスグレーブ大佐が署名する際、自国の署名欄ではなく
一段飛ばしたフランス代表団の欄に署名した為、アトの3カ国も前に習って、他国の欄にサインした
間違いだらけの調印書である。
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この時、甲板上に2枚の星条旗が飾られていた。
1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物(連邦48州の星が描かれた星条旗)、
もう1枚は1853年の黒船来航で江戸湾に現れた ペリーの艦隊 が掲げていた物
(連邦31州の星が描かれた星条旗)であり、90年越しの勝利として日本に 屈辱 を与えた。
このようなやり方が、ガイドのムサシさん曰く アメリカ的 アピールだそうな
(あまりにも表面が汚いので、裏向きに飾った)
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艦の中央部で、外を覗き込めとムサシさんが言うので、覗いてみると、船体が凹んでいた。
神風 attack と呼ばれる、特攻機が突っ込んだ跡だそうだ
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この時のパイロットは、石野節雄二等兵曹 と思われる。 弱冠19歳
当時、米水兵が甲板上に残った遺体の一部(上半身)を、海に流し落とそうとしていたを制した、
ウィリアム・キャラハン艦長は、反対のある中、勇敢な日本軍搭乗員を海軍葬の水葬で弔った。
涙と鼻水が出て、話が先に進みません
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10時45分:アメリカ海軍の大型ランチボートで、アリゾナ記念館に渡りました。
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日本軍の攻撃で戦死した兵士の お墓 なので来訪者は、ほとんどがアメリカ人です。
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日本人も真摯な態度で、訪れたらいいと思います。
70年以上経っても、未だに船体から油が漏れて、海面に上がってきます。
戦没者のメッセージ?と、理解されているようでしたが、日本だったら汚染騒ぎかな?
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ボートからアリゾナ記念館を振り返って、合掌!
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ボートから戦艦ミズーリーを振り返って、敬礼!
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攻撃練習をした三机湾と、似ているか?と、問われれば、似ているような気もする。
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二つのランキングに参加しています。ご協力をよろしくお願いします!
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