愛馬はアメリカンⅡ

休みの前は天気予報とにらめっこ!晴れたら良いのに…

戦争の終わる道

2013-03-23 | 日記
昨日の記事で、キスをしていた二人は、「勝利のキス」 で有名な二人だった! 

二人の関係は初対面の、見知らぬ二人だと!  (気になる人はピンク部をクリック)

さて、本題に戻りましょう。戦艦ミズーリーの主砲の前で、撮影タイム!



この甲板からのパノラマ画像で、一番大事なのは? 前方の山脈の中央で凹んだ部分。

ここは渓谷になっており、ここから九七式艦上攻撃機、九九式艦上爆撃機、零式戦闘機の

183機から成る、第一次攻撃隊が、此処、フォード島を目掛けて侵入してきた。 



前方の白い建物は、このあと船に乗って訪問する 「戦艦アリゾナ記念館」

戦艦アリゾナが沈んでいる上に、クロス(十字架)するように、建てられている。

戦闘指揮所:通常は立ち入り禁止だけど、ガイドのムサシさんの顔パスで見学

戦闘態勢 になると、興奮を抑えるために、青色のランプが点灯するそうな…

赤ランプ点けたら興奮して、ミサイル発射のボタンを押しまくったら、いかんけん



第二主砲後方に、白いテントが斜めに掛かっっているのが、確認できるだろうか?

この右舷甲板の小さなスペースこそが、昭和20年9月2日 東京湾に停泊した、ミズーリーの

甲板で行われた、大日本帝国の 降伏文書調印式 の場所であった

そして午前9時、戦闘指揮所横のキャビンで待機していた、ダグラス マッカーサー元帥が

戦争の終わる道 として、このタラップを降りてきた。



マッカーサー元帥は調印書サインに使用したペンは 価値あるペン と認識しており、 

矢印の部分に、Douglas Mac Arthur と2通の調印書に、5本のペンを変えながらサインした。

下の調印書は、カナダ代表のエル・コスグレーブ大佐が署名する際、自国の署名欄ではなく

一段飛ばしたフランス代表団の欄に署名した為、アトの3カ国も前に習って、他国の欄にサインした

間違いだらけの調印書である。



この時、甲板上に2枚の星条旗が飾られていた。

1枚は真珠湾攻撃時にホワイトハウスに飾られていた物(連邦48州の星が描かれた星条旗)、

もう1枚は1853年の黒船来航で江戸湾に現れた ペリーの艦隊 が掲げていた物

(連邦31州の星が描かれた星条旗)であり、90年越しの勝利として日本に 屈辱 を与えた。

このようなやり方が、ガイドのムサシさん曰く アメリカ的 アピールだそうな

(あまりにも表面が汚いので、裏向きに飾った)


艦の中央部で、外を覗き込めとムサシさんが言うので、覗いてみると、船体が凹んでいた。

神風 attack と呼ばれる、特攻機が突っ込んだ跡だそうだ



この時のパイロットは、石野節雄二等兵曹 と思われる。 弱冠19歳

当時、米水兵が甲板上に残った遺体の一部(上半身)を、海に流し落とそうとしていたを制した、

ウィリアム・キャラハン艦長は、反対のある中、勇敢な日本軍搭乗員を海軍葬の水葬で弔った。

涙と鼻水が出て、話が先に進みません

10時45分:アメリカ海軍の大型ランチボートで、アリゾナ記念館に渡りました。



日本軍の攻撃で戦死した兵士の お墓 なので来訪者は、ほとんどがアメリカ人です。



日本人も真摯な態度で、訪れたらいいと思います。

70年以上経っても、未だに船体から油が漏れて、海面に上がってきます。

戦没者のメッセージ?と、理解されているようでしたが、日本だったら汚染騒ぎかな?



ボートからアリゾナ記念館を振り返って、合掌!


ボートから戦艦ミズーリーを振り返って、敬礼!


攻撃練習をした三机湾と、似ているか?と、問われれば、似ているような気もする。



早朝からのツアーであったが、疲れを感じる暇もないほど、有意義であった。


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