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きょうは、朝から午前中は少し寒いくらいでしたが、午後から次第に暖かくなりました。
さて、毎週月曜日は司祭の休みの日と思っていらっしゃる方が多いと思いますが、茨城地区のイエズス・マリアの修道会の司祭・助祭たちにとってはほぼ毎週会議があり、みんな日曜日の夕方から友部修道院に集まります。
会議は通常月曜日の午前中だけで、昼食の後は自由になり、それぞれ自分の教会に戻る司祭・助祭もいれば、修道院にもう一日残る者もいます。
ぼくにとっては、日曜日のミサが終わると腑抜け状態になってしまうので、月曜日の会議はとてもつらいのですが、修道院に集まって、仲間とワイワイ飲みながら話をするのが楽しく、またいやされる気持ちです。
やはり、司祭同士でなければ話せないこともありますし、お互いの大変さもよくわかっていますので、大切な時間となっています。
で、よく信者さんから、お休みはないのですか?と聞かれるのですが、休みは自分で作らなければなりません。
それで、ぼくは火曜日を自分の休みの日とさせていただいています。
が、いろいろの仕事があったり、急に何か頼まれたりするので、なかなか完全な休日を取ることは難しいのが現状です。
しかし同じ修道会でも外国からの宣教師の司祭たちは、毎週の休みというものを取らないですね。
7日間、毎日働いておられます。
とくに幼稚園の園長を兼ねている司祭は、たいへんです。
それで、以前は3年に一度3ヶ月間の休みを取り、自分の国に帰るようにしていました。
今は、航空運賃が安くなったこともあり、1年だったら1ヶ月、2年だったら2ヶ月、3年だったら3ヶ月、というように自由に休みを取れるようになっています。
1年で1ヶ月も休みがもらえるなんてゼイタク、と一般的には思われるかもしれませんが、毎週7日間休みなく働いている宣教師たちにとっては当然のことと思います。
邦人司祭は、適当に自分で休まなければならないので、かえって難しいところもあります。
司祭の仕事は、朝9時から夕方5時まで、なんて決まっていませんし、当然教会に寝泊りしているので、あたかも24時間仕事場にいるような気分で、ベッドに入っても、どうしても教会のこと、信者さんのことが気になってしまうもの。
こんなわけでして、教会の皆さんには申し訳ないですが、ぼくは月曜日と火曜日は教会を不在にさせていただいています。
それでは、ちょっと失礼して、オヤスミナサイ。
写真は、色づき始めた教会のアジサイ。
さて、毎週月曜日は司祭の休みの日と思っていらっしゃる方が多いと思いますが、茨城地区のイエズス・マリアの修道会の司祭・助祭たちにとってはほぼ毎週会議があり、みんな日曜日の夕方から友部修道院に集まります。
会議は通常月曜日の午前中だけで、昼食の後は自由になり、それぞれ自分の教会に戻る司祭・助祭もいれば、修道院にもう一日残る者もいます。
ぼくにとっては、日曜日のミサが終わると腑抜け状態になってしまうので、月曜日の会議はとてもつらいのですが、修道院に集まって、仲間とワイワイ飲みながら話をするのが楽しく、またいやされる気持ちです。
やはり、司祭同士でなければ話せないこともありますし、お互いの大変さもよくわかっていますので、大切な時間となっています。
で、よく信者さんから、お休みはないのですか?と聞かれるのですが、休みは自分で作らなければなりません。
それで、ぼくは火曜日を自分の休みの日とさせていただいています。
が、いろいろの仕事があったり、急に何か頼まれたりするので、なかなか完全な休日を取ることは難しいのが現状です。
しかし同じ修道会でも外国からの宣教師の司祭たちは、毎週の休みというものを取らないですね。
7日間、毎日働いておられます。
とくに幼稚園の園長を兼ねている司祭は、たいへんです。
それで、以前は3年に一度3ヶ月間の休みを取り、自分の国に帰るようにしていました。
今は、航空運賃が安くなったこともあり、1年だったら1ヶ月、2年だったら2ヶ月、3年だったら3ヶ月、というように自由に休みを取れるようになっています。
1年で1ヶ月も休みがもらえるなんてゼイタク、と一般的には思われるかもしれませんが、毎週7日間休みなく働いている宣教師たちにとっては当然のことと思います。
邦人司祭は、適当に自分で休まなければならないので、かえって難しいところもあります。
司祭の仕事は、朝9時から夕方5時まで、なんて決まっていませんし、当然教会に寝泊りしているので、あたかも24時間仕事場にいるような気分で、ベッドに入っても、どうしても教会のこと、信者さんのことが気になってしまうもの。
こんなわけでして、教会の皆さんには申し訳ないですが、ぼくは月曜日と火曜日は教会を不在にさせていただいています。
それでは、ちょっと失礼して、オヤスミナサイ。
写真は、色づき始めた教会のアジサイ。
アジサイの別名は「おたくさ」。シーボルトの奥さん、「お滝さん」からシーボルトが命名したものだそうです。実はこの花、私の勤め先の区の区花です。そして蘭学史を研究してる私にとってシーボルトは外せない人物です。
今日から住まいの区の美術展が始まります。今回も水彩画を出品していますが、桜の下にシノがたたずんでいるという、「ありえない」(なぜならシノは14年前に亡くなっていますので)構図にしました。ムリリョが亡くなった娘の面影に似せたマリア像を描いたのと同じかな。。。(こじつけ)
お休みは堂々とお休み下さい。そして鋭気を養ってくださいね!
アジサイの別名「おたくさ」にまつわるシーボルトの話、とても興味深く読ませていただきました。
お住まいの区の美術展、時間があれば伺いたいと思います。
よかったらどうぞお知らせくださいね。
ところで、わたしは女子パウロ会に来るまで司祭には休みはないのだと思っていました。信者になって数年後、教会の低い門を夜は閉めると知ったときも驚きました。
昔のことなのでよく覚えていませんが、当時のわたしには教会は24時間開いてるコンビニのような面があったらしいです。
ですから、わたしも修道院には休みが ないつもりで入りました。今にして思うとずいぶん非現実的な修道生活を心に描いていたようでハズカシイです。
今は休日の大切さはわかりますので、神父様方がときどきゆっくりお休みになれますようにと祈りますね。
司祭も修道者も、人間ですから、心身ともに疲れるのは当然ですよね。
その辺、日本人は休むのが下手ですし、休むこと自体に罪悪感を感じてしまいがちですが、ヨーロッパの司祭たちを見ていると、とても上手に休んでいるのがわかります。
ぼくも上手な休み方を学ばなければと思っています。
ところで、先述の「ホロルの湯」の、もうひとつのよさは、携帯電話の電波が届かなかったことなんですよー。(ドコモの「ムーバ Mova」でも、届きませんでした。)変な話ですが、これでたいへん解放された気分になります。