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フィリピンからこんにちは。
きょうは、マザー・テレサの生誕100周年のお祝いです。
さて、突然ですが、マニラ在住の叔父の西本至(とおる)神父が、先週21日(土)午後8時頃(医師による最終的な死亡確認は8時25分)、帰天しました。76歳。今月29日が誕生日で、77歳になることろでした。
4月の末から人工透析を始めたのですが、2ヶ月ほど前から急性白血病を併発してしまい、亡くなる2週間前に入院したばかりでした。
叔父は、40歳の誕生日に初めてフィリピンに来ました。以来37年にわたって奉仕してきました。
入院していた聖トマス大学病院の病室には、何人もの方がお見舞いに訪れてきてくださいました。
最期は、西本オフィス(PEP)のスタッフや、イエスのカリタス修道女会(旧宮崎カリタス会)のシスター方4名、日本から当日飛んで来られたさいたま教区の事務局長の矢吹助祭とぼくに囲まれて、日本語の聖歌を聞きながら旅立ちました。ガリラヤの風かおる丘、マラナタ、マリアさまのこころ、この時この日のこのいのちを・・・、忘れないで、ありがとう、などなど。歌が聞こえたとき、叔父は少し涙を流しました。
病室にはとてもあたたかな空気が流れていました。
最期も、いつ本当に心臓が止まったのかわからないほど安らかな旅立ちでした。(ぼくは胸に耳を当てて聞いていましたが、弱くて聞き取れませんでした。)
そのとき、「死んでも生きる」(ヨハネ11:25)とのイエスさまのみ言葉を、本当に感じたように思いました。ちっともさびしくならないのです。
父のときも母のときも、家族の中ではぼくだけフィリピンにいて臨終に立ち会えなかったので、たいへん寂しくなったのですが、今回、神さまがこのような機会をぼくにも与えてくださったのだと思い、感謝しています。
人工透析を始めたときも、今回も、たまたまぼくがフィリピンに滞在しているときの出来事で、大きな神さまの計らいを感じています。
遺体は、レデンプトール会の絶えざる御助けの聖母大聖堂(通称「バクララン教会」)に安置されています。この教会の聖堂はとても大きく、なんでもアメリカン・フットボールができるほどの広さなのだそうです。ここで、毎日何度もミサが捧げられ、叔父も喜んでいると思います。(バクララン教会のホームページはこちらからどうぞ。)
また、月曜日から毎日多くの弔問する方々が訪れています。しかも、この教会は24時間開いているので、深夜になっても訪れる方がいらっしゃいます(泊まる人も多いです)。そして、必ず誰かが寝ずに過ごすのがフィリピンの習慣で、常にロウソクが灯され、いつも見守られています。
明日27日の晩、叔父がお世話していた奨学金制度の担当する司祭やシスター、そして奨学生たちが集まってミサが捧げられ、ぼくが主司式をさせていただく予定です。
葬儀ミサは、28日(土)11時から(日本時間の正午から)始まり、こちらの慣習に従い、そのまま火葬されずにパラニャケのカトリック墓地に埋葬さることになっています。
フィリピンで人生の半分近くを生き、多くの人びとに愛された叔父は、こちらで生をまっとうして埋葬されることになって本望だったと思います。人びとも、ああよかった、と言ってくださっています。もちろん、日本のみなさんは寂しい思いをされるでしょうけど。
27日の晩のミサと28日の葬儀ミサの模様がインターネットで見られるそうです。以下のアドレスをコピーして、ブラウザのアドレス部分に貼り付けてEnterを押してみてください。
日本時間で、27日は夜9時から、28日は正午からの配信です。
ustream.tv/channel/novena-in-baclaran
どうかご一緒にお祈りをお願いいたします。
マザー・テレサの祈りの取り次ぎもお願いしたいと思います。
なお、マニラ大司教区のホームページにもお知らせが載りましたのでご覧ください(こちらからどうぞ)。
上の写真は、バクララン教会の聖堂とその前のモニュメント。
きょうは、マザー・テレサの生誕100周年のお祝いです。
さて、突然ですが、マニラ在住の叔父の西本至(とおる)神父が、先週21日(土)午後8時頃(医師による最終的な死亡確認は8時25分)、帰天しました。76歳。今月29日が誕生日で、77歳になることろでした。
4月の末から人工透析を始めたのですが、2ヶ月ほど前から急性白血病を併発してしまい、亡くなる2週間前に入院したばかりでした。
叔父は、40歳の誕生日に初めてフィリピンに来ました。以来37年にわたって奉仕してきました。
入院していた聖トマス大学病院の病室には、何人もの方がお見舞いに訪れてきてくださいました。
最期は、西本オフィス(PEP)のスタッフや、イエスのカリタス修道女会(旧宮崎カリタス会)のシスター方4名、日本から当日飛んで来られたさいたま教区の事務局長の矢吹助祭とぼくに囲まれて、日本語の聖歌を聞きながら旅立ちました。ガリラヤの風かおる丘、マラナタ、マリアさまのこころ、この時この日のこのいのちを・・・、忘れないで、ありがとう、などなど。歌が聞こえたとき、叔父は少し涙を流しました。
病室にはとてもあたたかな空気が流れていました。
最期も、いつ本当に心臓が止まったのかわからないほど安らかな旅立ちでした。(ぼくは胸に耳を当てて聞いていましたが、弱くて聞き取れませんでした。)
そのとき、「死んでも生きる」(ヨハネ11:25)とのイエスさまのみ言葉を、本当に感じたように思いました。ちっともさびしくならないのです。
父のときも母のときも、家族の中ではぼくだけフィリピンにいて臨終に立ち会えなかったので、たいへん寂しくなったのですが、今回、神さまがこのような機会をぼくにも与えてくださったのだと思い、感謝しています。
人工透析を始めたときも、今回も、たまたまぼくがフィリピンに滞在しているときの出来事で、大きな神さまの計らいを感じています。
遺体は、レデンプトール会の絶えざる御助けの聖母大聖堂(通称「バクララン教会」)に安置されています。この教会の聖堂はとても大きく、なんでもアメリカン・フットボールができるほどの広さなのだそうです。ここで、毎日何度もミサが捧げられ、叔父も喜んでいると思います。(バクララン教会のホームページはこちらからどうぞ。)
また、月曜日から毎日多くの弔問する方々が訪れています。しかも、この教会は24時間開いているので、深夜になっても訪れる方がいらっしゃいます(泊まる人も多いです)。そして、必ず誰かが寝ずに過ごすのがフィリピンの習慣で、常にロウソクが灯され、いつも見守られています。
明日27日の晩、叔父がお世話していた奨学金制度の担当する司祭やシスター、そして奨学生たちが集まってミサが捧げられ、ぼくが主司式をさせていただく予定です。
葬儀ミサは、28日(土)11時から(日本時間の正午から)始まり、こちらの慣習に従い、そのまま火葬されずにパラニャケのカトリック墓地に埋葬さることになっています。
フィリピンで人生の半分近くを生き、多くの人びとに愛された叔父は、こちらで生をまっとうして埋葬されることになって本望だったと思います。人びとも、ああよかった、と言ってくださっています。もちろん、日本のみなさんは寂しい思いをされるでしょうけど。
27日の晩のミサと28日の葬儀ミサの模様がインターネットで見られるそうです。以下のアドレスをコピーして、ブラウザのアドレス部分に貼り付けてEnterを押してみてください。
日本時間で、27日は夜9時から、28日は正午からの配信です。
ustream.tv/channel/novena-in-baclaran
どうかご一緒にお祈りをお願いいたします。
マザー・テレサの祈りの取り次ぎもお願いしたいと思います。
なお、マニラ大司教区のホームページにもお知らせが載りましたのでご覧ください(こちらからどうぞ)。
上の写真は、バクララン教会の聖堂とその前のモニュメント。
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