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横浜教区から突然の訃報が届きました。同教区の石川裕之神父の帰天です。
以下、さいたま教区を通じて送られてきたFAXから引用します。
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ベルナルド石川裕之師は、一時帰国の後、ブラジルに向かう途中、7月1日(日)午前5時55分(現地時間)、経由地ニューヨークの病院にて急病のため帰天されました。享年48歳でした。どうぞお祈りください。
通夜、および葬儀ミサは次のとおり行われます。
通夜 7月13日(金)18時
葬儀ミサ・告別式 7月14日(土)10時
山手カトリック教会にて
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なお、告別式の後はすぐに出棺になるそうで、個人的にお別れをなさりたい方はお通夜のときにお願いしますとのことです。
石川神父は、ぼくが東京のカトリック神学院に入ったときの1年先輩です。
ぼくは、2年間しか東京の神学院にいなかったのですが、いつも優しくしてくださり、大切なことは何かを教えていただいたように思います。
司祭になってからは、ずっと会う機会はなかったのですが、ぼくが山形在任中に電話で何度か話したことがありました。
それから、彼は2005年、ブラジルに派遣され、今回は一時帰国されていたとのことです。新潟教区の菊池司教の日記によれば、経由地のニューヨークで肺炎となり、運ばれた病院で亡くなられたとのこと。
まったく孤独の最期でした。
また、石川神父は神学校に入る前は日本カトリック信徒宣教者会のメンバーでもありました。
神学生としても、わざわざインドの神学校に行って勉強するなど、国際的な感覚をいつも大切にされていました。
ご健在のご両親の心がどんなものか計り知ることはできません。
お祈りの言葉すら浮かんできませんが、聖霊の助けとともにお祈りしたいと思います。
以下、さいたま教区を通じて送られてきたFAXから引用します。
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ベルナルド石川裕之師は、一時帰国の後、ブラジルに向かう途中、7月1日(日)午前5時55分(現地時間)、経由地ニューヨークの病院にて急病のため帰天されました。享年48歳でした。どうぞお祈りください。
通夜、および葬儀ミサは次のとおり行われます。
通夜 7月13日(金)18時
葬儀ミサ・告別式 7月14日(土)10時
山手カトリック教会にて
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なお、告別式の後はすぐに出棺になるそうで、個人的にお別れをなさりたい方はお通夜のときにお願いしますとのことです。
石川神父は、ぼくが東京のカトリック神学院に入ったときの1年先輩です。
ぼくは、2年間しか東京の神学院にいなかったのですが、いつも優しくしてくださり、大切なことは何かを教えていただいたように思います。
司祭になってからは、ずっと会う機会はなかったのですが、ぼくが山形在任中に電話で何度か話したことがありました。
それから、彼は2005年、ブラジルに派遣され、今回は一時帰国されていたとのことです。新潟教区の菊池司教の日記によれば、経由地のニューヨークで肺炎となり、運ばれた病院で亡くなられたとのこと。
まったく孤独の最期でした。
また、石川神父は神学校に入る前は日本カトリック信徒宣教者会のメンバーでもありました。
神学生としても、わざわざインドの神学校に行って勉強するなど、国際的な感覚をいつも大切にされていました。
ご健在のご両親の心がどんなものか計り知ることはできません。
お祈りの言葉すら浮かんできませんが、聖霊の助けとともにお祈りしたいと思います。
連絡網が回ってきた時には、自分が伝えられたままを
次の方に申し上げているのか、分からなくなるほどでした。
非常に強烈なリーダーシップを発揮された神父様は、
心が弱っていた当時、あまりにも眩しく見えて、私にはある面、
苦手な神父様でもいらっしゃいました。
しかし、振り返れば、ある種の厳しさの中で、神父様は、私のような者にも
大事なことをいくつも教えて下さいました。
明日は、工事中の私たちの教会の代わりに、近くの教会を
お借りして、小教区の追悼ミサがあります。娘も参列すると申しております。
我が子に先立たれた親御様はお辛いですね。
ご挨拶があまりにご立派でいらっしゃったので、尚更、胸が痛みました。祈りつつ。
omasicoさんの方が、石川神父の思い出がたくさんありますね。意外に、と言っては失礼ですが、じっさいに繊細なところがありましたね。
しゃぼん硝子さんへ、
お通夜に行かれたとのこと。じつは、最初に彼の死を知ることになったのは、しゃぼん硝子さんのブログでした。こう言っては申し訳ないですが、にわかに信じられず、教区からの正式発表を待ってぼくも記事にさせていただきました。それにしても、4日間もその死が知らされるのに時間がかかってしまったことは、なんとも言い難いですね。旅先での孤独な死。でも、なんだか宣教師としての石川神父らしい気もします。