過去も未来も何も無い
誰もいないし一人でも無い
I float in cosmos for the place to return
(私は帰るべき場所を求めて宇宙に浮かんでいる)
Living or dying there is no meaning
(生きるか死ぬか、そこに意味はない)
これはラルクの「cradle」という曲の歌詞。初めて聴いた時にすっごいわかると思った。こういう感覚で生きてきたなぁって。高校時代に出会ったレ・ミゼラブルの「死ぬことなんて怖くない。怖いのは本当に生きないことだ」という一節が心の片隅に引っかかってしこりのように存在し続けたのは、きっと生きているという実感が欲しかったからなのではないかと思う。
そんな私が北京の春に衝撃を受け、羽生結弦という人を知っていくにしたがって心に予期せぬ変化が次々と訪れて。まるで心の奥で時を止めていた歯車が動き始めたような不思議な感覚を何度も味わいながらここまできた。そして今回のEchoes of Lifeでも、また一つ、閉ざされた心の片隅に血が通うような不思議な感覚を味わった。
「愛してる ~VGH127~」
この言葉を目にした瞬間に胸を駆け抜けた言葉にならない感情は、彼を追う中で心に刻まれてきた溢れるほどの愛しさや、胸をかきむしるような無力感、その存在に感謝し、いつの日も幸せであれと願ってきた自分自身を内側からなぞっているかのようだった。こんな心の変化をくれた彼との出会いに感謝するとともに、これからも続いていくのであろう心の旅路が楽しみで仕方がないと思えるのだ。
GIFT、RE_PRAYと、次々にフィギュアスケートの常識を塗り替え限界を超えてきた羽生くんのアイスストーリー。この先どこへ向かって進化するというのか想像もつかないままに迎えたEchoes of Life初日。スタンドA席から見下ろした光景は、まるでNovaの歩みを天空から見下ろしているかのようだった。次々と繰り広げられる彼の心象風景が会場全体を包み、悩み、苦しみ、絶望し、それでも愛された記憶を胸に歩み続ける彼を見送る瞬間のなんとも言えない感傷。
2日目、ショートサイドのど真ん中、前から2列目という人生のクライマックスのような神席から見たEchoesは、アイスリンクを覆うように頭上で光が交錯し、重力を感じさせない美しいNovaの姿が鏡面のようにリンクに映し出され、まるで彼の心の中から外の世界を覗いているような不思議な感覚だった。
生を与えられた者たちは、どんなにつらくても苦しくてもその鼓動が尽きる瞬間までその命を全うしなければならない。頭ではわかっているけれど、その道先に人影一つ見当たらなくても、真っ直ぐに背を伸ばし迷うことなく歩みを進める彼の美しい後ろ姿を真後ろから見送る瞬間のあの気持ちは、どれだけ言葉を尽くしても語れる気がしない。
あぁ、これが、羽生くんが人生をかけて磨き上げてきた唯一無二のフィギュアスケートなのだなと。Novaによって刻まれたトレースを見つめながらその重みに思いを馳せ…きっとこの先何があろうとも忘れることはない、奇跡のような光景だった。
羽生くんの…Novaの旅路はこれからも続いていく。彼らが一歩踏み出すたびに光の筋が無数に広がり、見守る人たちを優しく包み込みながら未来へと伸びていく様子が見えるような気がする。きっとこれからも私の日常は何も変わることはないけれど、体の芯を巡ったこの儚く、切なく、力強い優しさが、明日を照らしてくれているような気がするのだ。
羽生結弦という人を知り、こうして彼が魂を込めて届けてくれるメッセージを全身で受け取れる人生でよかったと心から思う。そうして彼からたくさんの幸せを貰った私という存在も、幸せの連鎖をつなぐ要素の一つであれたらいいな、と。
これから広島、千葉とさらに熟していくであろうEchoes of Life。最後の日にNovaを見送る瞬間、いったいどんな感情が生まれるのだろうか。そこから始まるそれぞれの新たなストーリーがどこまでも幸せなものでありますようにと願いつつ、次の公演を楽しみに待ちたいと思う。
羽生くんが怪我なく健康でこのツアーを完走できますように。