「職業羽生結弦の矜持」で北京五輪について語る羽生くんの言葉に震えた。北京落ちの私が彼からもらってきた幸せは、彼のあの感情の上に成り立っているんだ。あの結果を経て演じられた、あの「春よ来い」に巡り合わなければ、彼に落ちて駆け抜けてきたこれまでの幸せな時間も、この先重ねていくであろう夢のような感動も存在しなのだから。彼が3連覇を成し遂げていたら、ここに居るのはおそらくバラ1すら知らない私だ。
あの状況だったからこそ、彼の人としての美しさや人知れず重ねてきた努力と苦難の道を知った。あの魂を震わす演技の源泉に触れ、その深淵を覗かずにはいられなかった。ひたむきに打ち込み、全てを注いで磨き上げてきたスケートへの愛と、その結晶のような魂の演技に心奪われ、どんな状況にあっても決して濁ることのなかった真っ直ぐな瞳に心打たれたのだ。そして、彼が心を掻きむしるような悔しさの中で見せた姿にどうしようもなく惹かれ、そんな巡り合わせに、感謝すらしているのだ。
これは私が抱えた罪だ。そして、何があろうと彼を応援し見守り続けたいと思う理由でもある。彼の中からあの時の悔しさが消えてなくなる日など来ないのかもしれない。心を締め付けられながら、失望されることへの恐怖を抱きながら、新たな境地へと向かっているのかもしれない。それでも、欲も妥協も雑念もない究極まで磨き上げられた演技に、あの瞬間だけの唯一無二の感情が灯った、あの日のあの春が忘れられない。言葉にならない儚さと優しさと美しさが心を惹きつけてやまない。
始まりは、閉会式から幾日か過ぎた頃に出会った一本のYouTube動画だ。リアルタイムでもなければ高画質でもない。でもそんなの関係ないほどに心震える体験だった。そして夢中で北京五輪の軌跡を追い、知ってしまった。羽生結弦という人を。これを幸福な巡り合わせだと思うことへの罪悪感とともに、これからも彼へ声援を送り続ける。そんなどうしようもない思いで胸が締め付けられた30分だった。
私の心の最奥では、いまも、あの日の春が美しく舞っている。
どうか、彼の心にも優しく花びらが舞っていますように。