羽生くんに出会って芽生えたささやかなケツイの話。
私は子供の頃から人間の死生観のようなものに敏感だった。生きるということ。生きて、最後に死ぬということ。生きた証、アイデンティティ、信仰と自我、燃え尽きた先に残るものとは。そんなことばかり考えて生きてきた。死ぬまで続く「いま」をどう重ねていくのか。重ねた「いま」が何を残していくのか。一歩引いて、俯瞰して、ただ茫洋とそんなことを考えていた。
重ねてきた「いま」を振り返ってばかりの私にとって、「いま」はすでに過去のはじまりだったのかもしれない。ふと、昔読んだ村上春樹の小説に出てきた「氷男」を思い出した。
そうやって踏みしめてきた私の世界。そこへ突然、彗星のように飛び込んできた羽生くんという存在によって、生きるという概念がことごとく塗り替えられていった。彼は、文字通り「生きて」いた。人として生まれ、人として生きる、ただそれだけのことさえ、ときに難しく感じるこの世界で、彼は、ただ美しく鼓動を刻む「命」だった。
稀有な輝きを放つ彼のことを知りたくて、彼の足跡を、彼を形作ってきたものたちを、夢中で辿った。その過程で、彼はとんでもない苦難の道を辿ってきたのだと知ることとなる。氷上に描かれる美しい世界とその輝かしい戦績に、華々しい人生を送ってきたとばかり思ってきた彼が辿った道は、とてつもなく過酷だった。
東日本大震災で被災し、16歳という若さで人々の希望を背負うこととなった彼。復興を支えるための活動に説得力を持たせるためにはオリンピックの金メダルが2つ必要だと語った当時10代の青年の瞳には、1つの迷いもなく、ただ、未来を見つめていた。その言葉通りに、彼は2つのオリンピック金メダルを手にすることとなる。
若い才能を疎ましく思うような勢力がひしめくフィギュア界の荒波に揉まれながら勝ち取った1つ目の金メダル。足を引っ張り、飛び出た頭をへし折ろうとするような理不尽な仕打ちを受けながらも、そういうことならば「圧倒的に」勝つ必要があると宣言し、さらなる研鑽を積み、圧倒的な輝きを放って手にした2つ目の金メダル。
そして、「引退しろって言われてるのかな」と後にその胸のうちを語るようなさらなる逆風の中で、競技者としての誇りを世界に知らしめた北京五輪。彼は、どんな状況に身を置こうとも、どんなときも、どの瞬間も、高く掲げた目標へ、理想の自分へ、まだ見ぬ未来へ視線を向けていた。その姿が、彼が手にした2つの金メダルの輝きをより一層尊いものへと押し上げたのではないだろうか。
例えるなら、彼はただ表面だけを磨いた石などではなく、たゆまぬ地道な努力によって内側の核の部分から丁寧に丁寧に磨かれながら育ってきた唯一無二の宝石だ。磨き上げられてどこにも濁りがないから、その中心に燃え続ける情熱の炎まではっきりと見える。私が北京での彼に感じた「透明な輝き」も、つまりはこういうことだったのかな、と思う。
彼は磨いてきた。積み重ねてきた。それは決して過去の遺物などではない。明日のため、未来のため、「まだ見ぬ自分に出会う」ために、いまなお、魂を込めて磨き続けている。プロ転向後の彼の活躍がその全てを語っている。その背景には、16歳の彼が語った想いそのままに、震災の悲しみを忘れず、復興への歩みを決して絶やさず、誰かの心に光を届けたいという願いが優しく息づいている。
「今日ある命は明日もあるとは限りません。今日の、いまの幸せは、明日もあるとは限りません。そうやって地震は起きました。だから、みんな真剣に、いまある命を、いまの時間を幸せに生きてください」そう言って、彼はいまを生きる全ての命の未来を大切に思ってくれる。それを感じたとき、嵐のように愛しさが全身を駆け巡って震えが止まらなかった。
彼は「いま」を生きている。「いま」という「未来」を生きている。「いま」という「過去」を生き、何かを「遺す」ことばかり考えてきた私には、彼が見つめる未来が眩しく霞んで見えないけれど。そんな光の先で、また彼は新たな扉を開けてくれるだろう。
まだ見ぬ自分に出会うため、まだ見ぬ未来の彼に出会うため、私は「いま」を生きる。彼がいるこの世界とともに、「いま」という「未来」を生きていく。そんなささやかな、ケツイ。