今回は暗くてしかも身内の恥を晒すような、重い記事になります。
暗くなりそうなので読みたくない方はスルーしてください。
またいろいろ問題のある内容でもあるので、すぐに自分で消すかもしれません。
認知障害、という言葉があります。
認知症とまで診断されるまでいかないものの、記憶力、理解力、問題解決能力などの点で…
若い頃よりも明らかな退化が見られる状態です。
それが進行して、日常生活を送ることが困難にまでなってしまった状態が「認知症」で…
まだ日常生活が送れる状態を「認知障害」と呼ぶようです。その境界は、実は難しい部分もあるようですが。
私の父には明らかな認知障害が見られます。
たとえば、買い物をしていて、数十秒前に何を買ったか忘れてしまっていたり…
外食をしても、数日前に入った店を「初めて来た店」と思っていたり。
医師やケアマネージャーの言うことに「はい、はい、なるほど!」と相槌を打つのは上手なのですが…
あとで、内容をほとんど理解できていなかったり。
あるいは、何かを「決める」ことが極端に苦手になっていて、小さなことから大きなことまで…
「前言撤回」がすごく多いため、結果的に周囲が振り回されてしまう、など。
それでも、まだ様々なことが自分で出来て、しかもプライドは高いので…
私がいろいろ横から口をはさんだり、手を貸したりしようとすると…
「うるさい!」「わかってる!」「今自分でやるから!」と、すごく怒ったりすることがあります。
ここで助けの手を差し伸べるべきか、見守るべきかの判断が凄く難しくて、なかなかに気疲れします。
そして、体の動きが緩慢であるだけでなく、頭の動きもすごく遅くなってしまっています。
なのですべてのことに、普通のおとながやる、4倍、5倍の時間がかかるのです。
ちょっとした用事も、終わってみれば一日仕事になっている。
でもそれに合わせて、父の頭が回るのを辛抱強く「待ってあげる」ことがすごく大事のようです。
ただ問題なのは、私の性格上の問題、あるいは頭の働きの問題なのかもしれせんが…
行動や思考を父のペースに合わせてゆっくりにしてあげると、自分も釣り込まれて…
いつの間にか、ぼーっとしてしまうことです。シンクロするというか…
頭と体が、父のそれに「共感」「共振」してしまうんですね。
そうすると、自分までが「呆けた」ようになって、軽い認知障害みたいになってしまうんです。
その上、思い違いや思い込み、事実の歪曲やねつ造(?)といったこともたくさんあって。
いちいち訂正するとやはり怒ってしまうので「そうだったかねえ」とスルーするようにしているのですが…
いつの間にか、自分にまで間違った記憶や、事実認識が「移って」しまっていることがあって。
思わず、慄然とするのです。
これはまずい。へたをすると、こちらも若年性認知障害になって、社会復帰が出来なくなるかも。
まあ、そうでなくても、本格的な社会活動をする機会は、もう今後巡って来ないでしょうから…
事実上の引退をする覚悟をして、その分、年金を繰り上げ受給するつもりでいるのですけど。
でもボケたら妻に迷惑をかけますから。
プロの介護者の方は、そのあたりうまくかわして、自分の肉体や精神を正常に保てるのでしょうね。
やっぱり私が悪いのだろうなとは思いますが、人には向き不向きというものがあるでしょうから。
誰もがみんな介護という行為に「向いている」わけでもないと思います。
とにかく、茫々とした今の父の思考に「引き込まれないように」しないと、と注意はしています。
素人で、身内の介護をなさっている方、性格や思考の傾向によっては、注意なさった方がいいと思います。
でも、事実認識の間違いや、判断力の衰え、極端な物忘れなどについては、まあ覚悟はしていました。
すごく悲しくなるのは、父の倫理観とか、規範意識といったものまでが…
老化とともに、壊れて来てしまっていることです。
今日も、連れて行った都内の病院の食堂で昼食をとったのですけれど、混んでいて…
窓際の席につけなかったのが父としては悔しかったらしく…
「順番にご案内しますとか言ってるけど、勝手に入っていい席とっちまえばいいんだよ!今度からそうしよう」
「真面目に順番なんか書き込んで、座って馬鹿面下げて待ってるやつが、損するばっかりなんだよ!」と。
老いが進むまでは、そこまで自分勝手な放言をする人じゃなかったんですけどね…。
冬に新型コロナに罹患したときも…
熱が出てひどく咳も出ているのに「外食に行きたい」とわがままを言い始めて…
「いまそんなことをしたら、ひとにうつしちゃうでしょう」とたしなめると…
「んなのわかりゃしねえよ!うつしたって、相手はどうせ知らないやつらなんだからさあ!」と…
何とも反社会的なことを言い募っていました。
少なくとも以前は、そこまで社会性のない、非常識な人ではなかったはず。
理性のタガがはずれて、抑えていた、極端に自己中な一面が表に出てきてしまったのでしょうか。
食べ物も、前はきれいに食べて、ご飯粒ひとつ器に残さないような人だったのに…
今はおかずもご飯も、すごく雑に食べて、後の食器もとても汚い。
何か、そういうのも悲しくなるんですよ。
ああ、人間というのは脳が縮んだりして思考力が衰えると、人が変わるというか…
人格までも、壊れてしまうんだなと。
若い頃のしっかりした父とは、まるで別人になってしまった。
私も認知の状態が悪くなったら、人格が壊れて「私」とは違う人間になってしまうのだろうか、と。
自己同一性を喪失するほどまで長生きしたくない。自分はそうなる前に、自ら命を終えたいと強く思ったり。
医学の進歩とか、延命とか、長寿とか…本当に「善い事」「めでたい事」なんだろうか、とも。
人には人それぞれに、与えられた自然な寿命=天命というものがあって…
それを医療技術や薬などの力で、人工的に無理をして引き延ばすことが、本当に正しいのだろうか。
なんて思ったり。
いま、新薬の開発に日々いそしんでいる息子に言ったら、怒られるかもしれないですけれど。
でも、生命倫理や、人間存在についての哲学を全く省みず、ただひたすらに「延命」だけを目指す…
そんな医学、薬学に、疑問を差しはさむ余地は、本当にないんでしょうかね。
寿命を本人以外の意志で絶つことは、当たり前ですが絶対に許されません。これは間違いなく。
そこを間違えると、横浜の「大口病院」で、看護師が老人たちの点滴に界面活性剤を混入させ殺害した事件や…
「津久井やまゆり苑」の大量殺人事件のような、残忍な犯罪につながります。
でも、あくまでも「自分で自分の寿命を決める」ことと…
本人の意思を無視して、他者の人工的な介入によって、無理やり延命するのと…
どちらが「倫理的」「人道的」なのか、少なくとも、そう簡単に結論を出せることではないと私は思います。
まあ「老い」と日々向き合っていると、いろんなことを考えるのですよ。
そんな私は、老人介護には、性格的に向いていないのかもしれません。
かといって、フリーで働いていた期間を「無職」で過ごしていたのと、ほぼ同じ扱いをする日本の労働市場では…
雇われ仕事を探しても、最低賃金あたりでの労働しかさせてもらえないと、求職をした結果思い知った私が…
これから稼ぎ手に回って…
一方それなりにしっかりした企業の正社員で、あと8年、9年と働ける妻を辞めさせて老人介護をさせた場合…
とても生活して行けない。まあ、自〇行為と言われても仕方ないですからね。
妻の今の立場だって、長年、派遣労働者として苦労した末に、やっとつかんだポジションなのだし。
息子が幼稚園ではなく保育園から、その後ずっと公立の学校に通って来たのだって…
そのほうが単一な環境でなく、いろんな家庭の級友(外国人含めて)と接することが出来て…
社会的な視野が、自然と拡がるから良いという考えもありましたが…
両親がそろって非正規労働者という、経済的に不安定な状況では(収入の多寡ではなく)…
不安で、また面接でも落とされそうで、私立には通わせられなかったということもあります。
そんな家庭の事情なわけですから、こうなったら年寄りの面倒は私が見る。それ以外の選択肢はない。
恨むべくは、私が一人っ子として生まれてきてしまったことです。
それでも父は、なるべく私の負担を軽くしてやろうという気持ちを、まだ持ってくれているからいいのですが…
施設に入っている母は、マスクの耳に掛けるゴム紐の幅が気に入らない、などという些細なことで大騒ぎして…
事実上車でしか行けず、しかも片道40分以上かかる施設まで、ちょっとした小物を頻繁に届けさせるという…
一種の「困らせ」をするのです。
不定期に時間と労力を消耗するので、本当に参っています。
まあ、老年期に入って精神疾患を病んだ(若いころから人格障害だったと思いますが)その上に…
認知障害まで入って、しかも脳梗塞で右半身不随になって…
本人もイライラする気持ちがあるのでしょうし、様々な妄想に駆られてもいるから…
我慢するしかないのですが。
それでいて、せめて面会して気持ちを慰めようとすると…
「面会なんて要らない!」「電話で用事は足りてるでしょ!」「キャンセルしなさい!」という謎の主張。
まあ、家族としての愛情とか、寂しいとか、そういうのはないんでしょうね。普通の人ではないから。
典型的な「毒親」だった上に、父が芸能の世界の仕事で成功して、財産を持ってからは…
母はひどい浪費家になって、夫の収入を、多分総額にすると億単位で無駄使いしてしまった人だし。
物への執着ではなく、大金をパーッと使うこと自体や、高価な物を捨てる行為に、快感を覚えていたようです。
両親がそんな状況で、しかも一人っ子で。そりゃあ、親が年取ったら厳しいことになりますよ。
それでも介護は「家族でしなさい」というのが「自称保守」の人たち(あるいは統一教会)の主張なんですよね。
この少子化の中で、しかも世の中には、いろんな事情の家族があるというのに…
「基本家族介護」というのが無理だと分からないこと自体、狂っているとしか言いようがない。
まあ、本物の毒親だった上、後に精神を病んだような家族を持った経験のない人には、わからないでしょうね。
私にこれからできることは、自分と同じ一人っ子になってしまった息子に、同じような思いをさせないこと。
ある意味彼は天才で…
(普通の人間には「刻苦」になる努力が、楽しくて仕方がないというのはもう才能としか言いようがないし)
(教授が認める、いい意味で突拍子もない発想力があるというのも、やっぱり才能なのでしょうから)
今やっていることに打ち込ませてやれば、必ず世のため人のためにもなるであろうと思います。
ブラック企業顔負けの仕事量をこなしながら、それが楽しい嬉しいというのは、ちょっと異常とも言えますが…
天才と異常者の間は、実は紙一重なのかもしれないですから。
彼のような種類の人間は、やりたいこと、やれることを、やり切るべきだと思います。
自分のために、社会のために。
だから仕事に集中して、親を省みる必要がないよう、というか物理的に省みることが不可能なくらいに…
出来るだけ遠くへ、できれば地球の裏側にまで行って、仕事をしてもらいたいのです。
まあそれでなくても、これからの時代、あの業界で、日本の大学や企業で働くことになったら…
「サラリーマンにはなれても『本物の研究者』にはなれないよ」
と、周りの多くの人から言われているようで、息子も将来日本に住むつもりはさらさらないようですから。
(病気や事故で命を失うか、日本から人の出国が禁じられるか、世界が破滅するかしたらもう駄目ですけど)
彼は「海外で一旗上げて、必ずチチウエとハハウエを呼び寄せる」と言っていますが…
絶望社会と言いたくなるような、今の日本を作り上げた責任の一端を負う者が「逃げる」ようなことをしていいのか。
あーあ。
アルツハイマー型認知症の薬は開発されたようですけれど…
老化による、脳そのものの物理的な縮小が原因の認知障害(私の父はそれのようです)の薬はないですから。
息子の興味はそっちには向いてないし。それをやれと親がいうのも違うし。
まあ、父の呆けと母の狂気に「引き込まれる」ことだけはないよう、しっかりしたいです。
性質が、引き込まれやすい、釣られやすいほうなので、注意しないと。