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スピリチュアルなお話~☆~☆~スサノオ尊現る・・・天から稲光が・・・

2012-05-04 02:26:42 | スピリチュアルな出来事

 スピリチュアルな出来事~★~スサノオ尊現る・・天から稲光が

■スサノオ尊が現われ・・・おろち退治をする!

信じられないだろうが、本当の話で有る。

以前に、お話をしたけれど、悪しき事が度々起こり、得体の知れない者の仕業を感じ、人生のどん底を味わった時に、「お前は、それでも人を信じるのか。人を見限り身を任せれば、楽に大金を与える。全て思い道理に成る。」と突然、声が聞こえた。

その後、釈迦に助けられたお話をしたけれども、助けられたのには訳が幾つか有る。どんなに理不尽な目に有っても、私は自分の至らなさを責めたものの、相手を憎み恨む事は無かった事と、得体の知れない者の誘いを「例え殺されても嫌た!」とキッパリ断った事に有る。だから、釈迦に助けられたのだった。

実は、釈迦に助けられる前に、あの恐ろしい誘いを断った後、私は突然に目覚めた。

天からのあらゆる声を聞く事となり、あらゆる教えと神仏に出合う機会を与えられた。世にも不思議な出来事にも度々、出会い経験をした。

そんな体験の一つにスサノオ尊との出会いが有った。

あの恐ろしい得体の知れない者は、悪魔とも言い、魔神とも言い、おろちとも言い呼び名も姿も変える。日本の神道では、おろちと表現をしている。

その恐ろしい悪魔(おろち)を、私はこの肉眼で見たのだった。通常、見る場合は、心魂又は第三の目で見る。第三の目は、仏像などで表している場合が有るから思い当たるかと思う。とにかく、肉眼でいきなりあんな者見たら、心臓が止まってしまう。足の爪先、手の指先、髪の毛一本づつ、産毛まで震え上がる。あんな思いはもう御免だ。

あの魔神(おろち)は、私の住む数百メート近くに近年現われた怪しい宗教団体の主である。魔神は化けるのが上手い。神にも平気で化ける。80%もっともらしい神事を言い行い20%で本性を現す。

その宗教団体の信者の中には、500万円、300万円、100万円ともっと資財を投じた者も居る。中には、社員に払うはずの給与やボーナスまでもつぎ込みそれでも信じる者も居る。魔神(おろち・あくま)とは、渇欲の塊(かたまり)である。楽くに願いを叶え、もっともらしい教えを説き、相手を信用させ、大切なものを代償に奪い取る。有る時はお金、有る時は命や魂までも奪い取る。

特殊な能力を持つもの又は与えられた者は、得てしてその能力を持つ事を偉いと勘違いし五欲に落ちる。食欲・物欲(金銭も込み)・色欲・権威欲・生命欲である。その能力によって大きな財を成す者も居るが、それは如何なものかと思う。

最初は、確かに神仏を崇めているが、段々と渇欲が増すと、神仏に化けた魔神を崇めている場合が有る。いつも清い心魂と謙虚さが肝要である。

この怪しげな宗教団体に横恋慕した身の程知らずの神事師(鑑定士)が居た。そこの信者を自分の下に呼び寄せ、信者を集め長と成り、その宗教団体に取って変わろうとしていた。能力は自分が上で有ると自負していた。

その神事師にひょんな事から合う機会が有った。容姿は大人でも、まるで子供の魂だった。そのくせ野心も持っている。子供の様に無邪気で純真で白い部分と、権威を持ちたい野心の黒い部分が真っ二つに心魂に対座している。まるで、左腕と右腕を同時に神と魔神が引っ張り合いをしている様だった。

初めて出合った際、お供を連れてやって来たが、彼女が帰って行く空の上は黒い雲(心眼で見た)で覆われていた。異様な疲れに私は襲われた。それから、多少の縁が出来た。

神懸り・・。

有る日の事、スサノオ尊がその彼女の家に幾匹かのおろちが居る為、退治に行く・・・と言い出し、私は言われたままにその準備をし、友といきなり彼女の家を訪問し、数箇所、おろち退治を始めた、、。いきなりである。

1匹目のおろちは家の横の草に覆われた空き地に居た。スサノオ尊が剣を振り降ろすと、天から稲妻の様な光がその場に、剣の如く鋭く差込み落ちた。周りに居た者はあっけに取られた。その後、家の中に入り数箇所、剣を振り、おろちを退治し本星のおろちが咥えた巻物(天の巻物)を取り戻し、天に放り上げ返した。

スサノオ尊は私の体に降り、私は神懸りとなり動かされた。訳の分からないまま体も動き言葉も出てくる。勿論、おろちが私にも見える。私は、自分で有りながら自分で無い。しかし、わずかながら約1%は、自分が存在する。物凄いパワーを感じながらも、1%の私は「なんやねん・・これ・・・。どうなっとるん・・。勝手に体動くし物言うし・・・変や・・・嘘やろ・・・。」そう思いながら動かされて居る。

スサノオ尊が入った際、一瞬にして分かった事は、彼女が大切な天の巻物を知らぬ間にその教団から、おろちと共に持ち帰って居た事。その教団に横恋慕しようと(言い方は悪いが横取り)しようとした事で、その教団のおろちが怒り居座って居た事。スサノオ尊からも神からも、彼女への多大な愛(小さな子供を思う様な)を感じ事。そして、その天の巻物には、神の教えが書かれて居る事。魔神がその巻物を神から横取りしていた事が分かった。

後に、数十万円もする何冊もの神の教えの書物がその教団には有り、彼女はそれを購入していた事を知った。

その教団は、神の教えを写し取り、自分の教団の教えとし高額で販売をしていた。その為、神はその天の巻物を取り上げたのだ。

80%、もっともらしい教えを言い事を成し、後の20%で、正体を現すとは、正にこの事だ。まだまだ、この教団には魔神が存在する。この後も、魔神退治は続く事と成る。

神と対座して魔神は存在する。神事をする者は、何時も清く謙虚で、渇欲に溺れる事無く、強い心魂を養っていなければ決して手を出してはならない。彼女は、子供の無邪気な心魂を持ち合わせているが、悪しき者を追い払う事も消滅する力も全く持って無い。にも拘らず事を起こす・・。なので、神も守護霊も彼女の子守に手をやいている状態だ。

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在り得ないお話をするのには、訳が有ります。神仏の存在を知って頂き、神々や御仏から教えて貰った事を、皆様に伝えたいからに他なりません。何故なら、その教えには、人が誰しもが、真の幸せや安らぎを得る為の教えが説いて有るからです。

天から私への教えは、教えに留まらず不思議な体感や神仏の手足と成り、共に働いた事もさることながら、何よりも難儀と苦悩の体感こそが、一番の学びと成りました。

あの時、人生のどん底・・と思ったけれど、まだまだ、どうしてどうして、そんなものでは無かったのです。

苦難は、かなりの年数を要し、終には限り無い理不尽に至り、そこには、神仏の存在は無かった。光は無く真っ暗で、目の前には死のみが存在しました。

ここに至って尚も私は、「例え貴方々(神仏)が、私を見放し嫌だと言っても、私は変わらずに貴方々(神仏)を愛し信じます。足だろうが衣の裾だろうが、私はしがみ付き離しません。」と叫んで言った。

そこから、真の教えをより深く悟る事が出来たのでした。導かれたのです。

究極の理不尽は、正しく、理不神(理に適わない。報われない。神の存在は無い。)そのものと言えます。しかし、そこに至った時こそ、深い深い神仏の愛が存在します。真っ暗闇には、深い神仏の愛が存在します。

目覚めてから気が付けば10年余り経っていました。浦島太郎では有りませんが、すっかり容姿は老婆に成っていました。30才は老けた感じです。或る日、自分でもびっくりしました。「何時の間に、こんなになった~んやろ。」鏡なんてこの10年余りろくろく見た事が有りませんでしたから。強烈な苦難は、身も心魂もぼろぼろにしてしまったのです。

目覚めた時、もうこれで救われる・・。そう思ったけれども、おっとどっこい、そこからが、苦行の始まりだった。星一つ無い、真っ暗闇、死のみが存在するに至るまで、追い詰められ試されて初めて解る真の神仏の教えが有る。

この世は無常である(釈迦の言葉)。常に変わっています。明日は分からない・・と言う事です。だから、悔いの無い様に、今を生きなくては成りません。私も同様です。明日は、生きているとは限りません。まだまだ修行の身で、至らない者でありますが、明日が分からないからこそ、教えて頂いた事を伝える必要が有ると思ったのです。

私は、天より教えられた事を伝え、一人でも多くの人に幸せに成って頂きたいと願っております。

近日、カテゴリーの中で、幸せに成る為の学び舎を開校します。多少、難しい事も出てきますが、それは、しっかりと自分と向き合う事に他なりません。

どうか、ブログをご覧頂きたいと深く願っております。

そして、真の安らぎと不動の幸せを手に入れて行きましょう。

共に・・・。

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