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確実に幸せに成る為の学び舎~☆~開校します~☆~共に不動の幸せを掴もう!

2012-05-06 10:56:59 | 確実に幸せに成る為の学び舎

 確実に幸せに成る為の学び舎~★~開校します!

■ 共に、不動の幸せを掴もう!

はじめに・・・。

今、自分を幸福だと思える方も、不幸だと思う方も、どちらだとも言い難い方も、喜びと希望に溢れる方も、絶望で悩み苦しむ方も、どんな状態・状況で有ろうとも、自分が今、ここに存在(生きて)している事は、誰か(人)の愛によって生かされて来た事実が有ります。

私達は、生まれた直後から、自分自身では生きて行けません。ミルクを飲む事も、服を着る事も、オムツを交換する事も、安全で暖かい場所で眠る事も出来ません。誰かの救い(愛)の手が無ければ死んでしまいます。必ず。

親が子供を育てるのは当然の義務だ。当たり前の事だと思うかもしれませんが、義務と当たり前の事・・・それだけでは、子供を育てる事は出来きません。そこに愛があればこそ育てる事が出来るのです。愛を貰った(頂く)からこそ、今の自分が存在をしています。(親の手で育てられなかった方も同様です。)

昔、第一次戦争後、(第二かもしれない。外国の話)親を亡くした多くの戦災孤児の赤ちゃんが出来、国の機関がその孤児達(赤ちゃん)を集め、暖かい設備、管理の下で、定期的にミルクを与えオムツを交換し育て様としたけれど、多くの赤ちゃんが亡くなってしまいました。国の機関ですから、病気の際は、それなりの治療もした事でしょう。しかしながら、多くの赤ちゃんが亡くなってしまいました。

何故、赤ちゃん達は亡くなってしまったのか?それは、抱きしめてくれる暖かい愛情や泣いた時にあやし抱きしめ声を掛けてくれる愛情が無かた・・・もしくは、少なかったからに他なりません。義務や当たり前の事だけでは、赤ちゃんは育たない・・・深い愛情が無ければ、育たない生きられ無い事実が在ります

だから自分が、今、どう言った状況で有ろうとも、深い愛情の上で、存在している命で有る事を、決して忘れてはならないのです。

神代の昔とまでは行かなくても、原始時代の人間は、どうだったのだろうか?

原始時代の我々人間はどの動物よりも、とても弱い存在だった。

肉食動物の様に、早い足と鋭い牙と腕力を持たず、草食動物の様に、遠くを見通す目も敏感に音に反応する耳も、早くに逃げる脚力も持ちませんでした。かと言って、猿の様に、木の上を器用に飛び渡るすばしっこさも身軽さも持ちませんでした。人間は、猿にも劣る肉体的存在でした

どうして猿にも劣る存在だったのか?。それは、頭が重い為、二足歩行をしていたからです。その為、他の動物の様に早く逃げれないし、木の上でも猿に劣ってしまったのです。

では、どうして人間は死に絶える事無く今が有るのか?それは、共に助け合い支え合い分かち合う生き物だったからです。そうしなければ生きられなかったのです。

どの動物よりも弱い人間は、暗い安全な洞窟などで、ひっそりと肩を寄せ合い支え合い助け合って生きていました。

元々は、木の実や果物・地面の中の根(芋)などを食べて暮らしていました。木の実や果物が頃合に成り取ろうとすると、木になかなか上手く登れい・・。やっと登った所で、身が重くって木の先の果物や木の実の所までは辿り付けない・・・。猿に先取りされてしまう・・・。

そこで人間は考えました。木に登る者と、下で受け取る者・・。木に登った者は、木を揺らし木の実や果物を落とす。木の下の者は、落ちた物を拾い集める。そして持ち帰り、皆で分かち合い食べる。(猿は、結構、青い実でも食べるが、人間は完熟した物を食べる理由もその辺に有るのでしょう)。

根(芋)を掘る場合は、見張り役と掘る者とに役割分担をする。また、取った食べ物はその場では食べない。襲われる心配が有るから、洞穴に持ち帰り分かち合って食べていました。

人間と猿とのDNAの差は、わずか4%ほどの違いだと言われます。その4%の違いは色々と有るだろうが違いの一つに、分かち合う(食べ物)が有ります。幾ら賢い猿でも、分け合って餌を食べる事はしません。自分の食べ物を「はい!どうぞ!」とは、渡さない。

赤ちゃんが、やっと立ち上がる・・・歩く・・・初めて人らしい行為・作業は何をするか。?それは、自分の大切な食べ物やおもちゃを大切な人に手渡す又は相手の口に入れようとする事です。愛するもの(母)への初めての作業です。初めての与える愛の行為・作業のはじまりです。猿には出来ません。

弱い生き物は、助け合って生きる・・・。それは、定められた運命であり神(創造主)から与えられた法則(約束事)であります。例えば、ミツバチや蟻を観れば分かります。それぞれに役割分担が有り、助け合って生きています。

人もまた、助け合い支え合い分かち合い生きて行く定めに有ります。 人間の歴史は、そうやって受け継がれ今日が有ります。もし、その事が出来なく成る又はしなく成った時に、人類は滅亡の一途を辿る事と成るでしょう。助け合いは→助け愛・支え合いは→支え愛・分かち合いは→分かち愛とも言えるでしょう。愛を頂き愛を与え合う・・のはじまりとも言えます。

人が決して一人では生きて行けない理由がそこに有ります。

人間のみに有らず、他の動植物も生きとし生ける全てのものは、子を産み育てる生命(子孫)の継続をする、言い換えれば、その行為(本能)は、理屈抜きの愛そのもので有り、愛の行為の積み重ね、愛の継続によって歴史が今が生物の存在あります。

この地球の中では、人も動植物も微生物も命の有るものは、何かを食して命を繋いでいます。それは、他の命を頂き又は与えて生きる輪廻の法則で成り立ち、その全ての成り合は寸分違う事無く調和が取れています。。その調和を崩す存在は、人間ですが、、。言い換えれば、この地球上で、人間のみに有らず、生きし生ける者達全ては、お互いが輪廻の元、命を支えながら和(調和)を持って、命を繋ぎ合い支えあって生きて居るのです。広く考えれば、愛によって繋がり調和によって保たれて来たのです。

大切な他種の命を私達は頂きながら生きて来た、今が有るのです。

長い人間の歴史の中では、災害が有り、ライオンなどに襲われる災いも有ったてしょうし病気や人間同士の戦争や飢えや最近では交通事故など・・。あらゆる理不尽な事が存在しながらも、助け合い分かち合い支え合い、難儀や苦労・苦悩・悲しみなどを乗り越え命の継続(愛の継続)をしながら生きて来た(歴史)のです。

自分の両親や先祖のみに有らず、その前の長い長い歴史の中で、必死に生きた人達の上に、今の私達が居ます。

産み育まれた愛によって、長い苦難の歴史・愛の継続の上で、懸命に生きて来た他種の命を頂き、今の自分が居る(存在)し、そして、決して一人では生きて行けない存在で有る事、輪廻と調和の中で存在している事を今一度、深く受け止めて頂きたいと思います。

如何に自分が尊い命で有り、軽んじては成らない存在である事を再認識して頂きたいのです。

自分の存在を知る・・・認識する・・・己を見つめ直す・・・。そこから、学びはスタートします。分かり切った知識・情報でしょうが、受け止めず聞き流し受け流しでは、学びには成りません。

受け止め、思考し、苦悩し理解し、自分のものにする・・。学び、勉強とはそう言った事に他なりません。

では、これから一緒に、確実に幸せに成る為の学びスタートしましょう。

今日の授業はここまでです。

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