スピリチュアルなお話~★~★~御竈神さん・・・鯛めしを作る。
■ 御竈神さん、鯛めしを作る。
日本には、八萬百の神様がいらっしゃいます。その神々は、とても良く助けて下さいます有り難い神様達です。我が家の台所には、御竈神さんと御水神さんが、いらっしゃいます。
御竈神さまとは、読んで字の如く、かまどの神様の事です。今の時代はほとんど竈(かまど)は、有りませんから、この竈の神様もほとんど出番が有りません。昔は、おすいじんさん(御水神)おこうじんさん(御竈神)と言って、土間の竈や井戸の周辺には大抵の家が、この神様達(御札)を祭ったものです。
台所の様式が変わってからは、ほとんど祭る事が無くなってきた様ですが、家の水周りや火所は、人の生活にとって欠かせない大切な生業の場所です。
或る日の事、友達と一緒に何と無く導かれて行った神社が有り、そこで何と無く御竈神さんと御水神さんの御札を頂き(購入)、それぞれに貼ってお祭りをしました。
それから暫くしてからの事、お料理をしていると、誰かの声が聞こえ、お料理の指導が始まりました。お料理は、一応私も主婦ですから大抵の事は出来ますし、好きですから、それなりに工夫をしならが新作にチャレンジもしたりもします。
お料理の指導は、料理のコツ・・・と言ったところでしょうか。「あなたは、どなたですか。誰ですか?。」との問いかけに、「私は御竈神です。ここに居ます。」とお答えになりました。私は、びっくりしましたが、常日頃から、色々な神様との出会いが有りましたから、さほどの驚きでは、有りませんでしたが、その優しい声と上品な物言いに嬉しく成り、「済みませんが、お姿を見せては頂けませんか?。」と言うと、その姿を見せて頂く事と成りました。
普通の神様と違い、その容姿は茶色っぽい衣装で、たすき掛けをしていらっしゃいます。料理をするに当たり、袖の袂が邪魔にならない様にとの事です。衣装が茶色っぽいのは、竈の色(昔は土で作られていた)を現したものです。大抵、火を司る神は荒々しいものと相場が決まっていますが、この神様は、優しい料理教室の先生の様な物腰と物言いをなさいます。そして若くてハンサムな男の神様です。(付く人によって容姿は異なります。)
大抵のお料理は、把握し作っていると思って居たものの、知っている様で知らない本格的な美味しいお料理を作るコツは、知らないものです。そんなコツをはじめ、手順や使う調味料や分量まで、事細かく指導して下さいます。
タイ料理の調理法
或る日の事、親戚の叔父が、大きな鯛を数匹持ってきてくれました。お刺身やお吸い物を作り、魚の裁き方も教わり、刺身は、皮付きのままの方が美味しいと、その方法も教えてくれました。確かに、美味しかったです。
次に、鯛めしを作ろうとした時に、どうして良いかが、分からない?。焼いて炊飯器に入れるのか、それともそのまま(内臓は処理する)生のままに入れるのかが分からない・・。生のままだと、何だか臭そうな出来上がりに成りそうだ・・。如何したものか?。焼くには、鯛は大き過ぎ半生になりそうだ。
すると、御竈神さんは、「皮が黒く焦げない様に弱火で焼き、2部、3部焼くらい火が通り、後は生の部分が残って良いですから。それを炊飯器に入れると良いですよ。」と言われました。生臭さが無くなり、皮の焼いた香ばしい香りと、生だからこそ出てくる出汁も生かされる料理方法だとの事でした。
なるほど・・・。とても、美味しい鯛めしが出来上がりました。
醤油めしは、醤油を入れると仕上がりがどうしてもパサ付くので、物によって違うが、美味しい醤油めしを炊くには、もち米を少々5%~15%くらい一緒に炊くと冷えても美味しいパサ付かない物に仕上がるそうです。
ま~次から次へと、教わりました。感謝、感謝です。
それから、或るクリスマスの日、御札を一緒に頂いた時の友達とクリスマスを過ごそうと私は、お料理をお昼から準備をし、ケーキも作り頂く事と成りました。(ケーキは、御竈神さんに教わりました。)
友達は、あまりお料理を得意とせず、出来れば作りたく無い・・・。出来上がった物を買って済ます事も多く、「うちの亭主は、おとふさえ有ったら文句を言わない。毎日、おとふを肴に晩酌をしている・・。」と、言っていますが、私から観ると、何の文句も言わず、おとふを食べている様にしか思えてならず、それだけ出来た旦那さんに思えて成りません。
友達は良く私の家で、お料理を食べる機会が有り、その度に美味しいと言ってくれる事が、私はとても嬉しかったのです。
クリスマス料理を食べて、例の如く、「美味しかった・・・。」と、皆んなが言ってくれたので私は、とても嬉しく満足したのですが、友達が「私も御竈神さんの御札は家で祭っているのに、我が家の御竈神さんは、ちっとも働ん・・。なんでやろ。」と、文句を言いました。
見(透視)てみると、彼女の家の御竈神さんは、肩肘を付き横に寝そべり、暇そうにしていました。その旨、友達に伝えると、皆、大笑いをしました。
どんなにご利益の有る神様でも御札でも、その人が賢明に働き、その働きに愛が備わっていなければ、神はその人に降り、力を貸しては下さいません。懸命に働く心根も己の為では無く、誰かの為に役に立ちたいとの思いが必要なのです。そして、無心に打ち込む努力が必要です。
あなたも、家族の為に美味しいお料理を作りたいと思うのでしたら、御竈神さんと御水神さんを向い入れ、労を惜しまず料理に励みますと、声無き声が心魂に届き、それは閃きとなって、或いは意外な所からの知識の知らせと成って、あなたを導き下さいます。まして、お料理を生業としたお店には、欠かせない神様達です。
匠・・・・と称される方々には、どの職の道で有ろうとも、神は降り、共に居て下さり力を貸して下さいます。そこに愛が有るからです。共存共栄・・・で、有ります。
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