交通事故の悲惨さは私自身体験しているので、最近のニュースで報じられる被害者の無念は共感できる。
しかし同情はしない。私は経験者だから。経験者は身を持って悲惨さを体験しているので、リアルすぎて同情心なんか持ち合わせなくなるんだ。
置かれた境遇は誰しも違うのでその対応はケース・バイ・ケースだと思う。
かつて、このブログで飲酒運転に対してそういう輩を罵倒する権利を有してると書いたのは過去にそういう経験を体験しているからなわけだな。
だから身を持って経験しているものの立場として未だにこうした事故やそれに対するモラルの低さは呆れるしかないのである。
先日も幼児の集団に車が突っ込む事故が起きた。
が、不思議なことに、この手の事故は不思議に吸い込まれていくように起こるべくして起こる。
私が小学生の時、目の前で3人の上級生が車に跳ねられるシーンに遭遇している。
対向車線を走っていたそのトラックは車線からはみ出して横切り、私の数メートル先前にいた児童を跳ね飛ばし田んぼに落ちてとまった。
跳ね飛ばされた衝撃で3人の児童は土手に落下。落ちたところが土手だったのでそれがクッションになり誰も亡くなることはなかったが、当然重傷だったし、目の前で起きた血みどろの光景は子供の目には地獄絵巻そのもので、それはそれは恐ろしい光景だった。
まるで吸い込まれるようにその児童に向かってくる車。他にたくさんのスペースがある。何もその児童に向かってくる必要も何もない。のにピンポイントで事故は起きた。
いつか三菱製のトラックの前輪が外れて被害が起きたのと同じように、外れたタイヤはどこかにぶつかって止まればいいのにわざわざ人のいる所めがけて進み、命を奪って止まる。
こうした事故は下手をすると天災と同じように”運命”という体のいい言葉に裏打ちされた神様のいたずらなのかもしれないと・・・そうでないと説明のしようがつかない出来事は今もって結論を出せないでいる。縁の持つ不思議さとしか言いようがない。
しかし、飲酒運転の事故はそうじゃない。これは人間の認識不足から来る一種の確信犯的行為で私の場合、事故後に相手と対面し、確認を取った。
加害者の口から発せられた言葉はあまりに人を小馬鹿にした言葉だった。
「当てたろうと思って・・・」
酒に酔っていて、相手が私でなくともそこに通りかかったものなら誰でも良かったらしい。
たまたまその現場に私が居合わせ、私が被害に遭ったわけだ。
この事故(むしろ事件といっていいと思う)は私の人生を180度狂わせたのも事実で私から未来を奪ったのは間違いない。
私がネガティブをポジティブに変える精神力を持ち合わせていたから私は立ち直ることもできたが、そうでなければ私や私のような被害者は一生苦しみ続けることになる。
このような精神状態をを作り出す酒酔い状態で車のハンドルを握ることは確実に殺人的行為で、何をどう解釈すれば業務上過失致死や過失傷害になるのか理科に苦しむ。ましてやそれを酒の所為にして逃避するなど言語道断だ。
酒を造っている人もそんな被害者を作り出すために酒を造っているわけではない。でも現実にこうした事故は今後も起き続ける。
私は幸いその事故で死ぬことはなかったのでこうしてブログで愚痴の一つも書ける幸運があるのだけど、死んでいった人たちはそうは行かない。被害者の関係者の心情もよっく分かる。
刑事処分は行政上すぐに済むけれど、慰謝料請求など民事裁判なんかすればこっちに責がないのに結審まで数年を要し、その判決までの精神状態は相当辛い。私も当時慢性胃炎になった。
事故一つで人生は全く狂うのだと認識すれば飲酒運転などは絶対できないのだけれど、やはり人間は自分の能力を過大評価し、そして自分だけはそういうことは起こりえないという全く根拠のない理屈で防壁を張る。
そして事故は起こるべくして起こる。
人は品性を求めてはいけない生き物なのかもしれない・・・
しかし同情はしない。私は経験者だから。経験者は身を持って悲惨さを体験しているので、リアルすぎて同情心なんか持ち合わせなくなるんだ。
置かれた境遇は誰しも違うのでその対応はケース・バイ・ケースだと思う。
かつて、このブログで飲酒運転に対してそういう輩を罵倒する権利を有してると書いたのは過去にそういう経験を体験しているからなわけだな。
だから身を持って経験しているものの立場として未だにこうした事故やそれに対するモラルの低さは呆れるしかないのである。
先日も幼児の集団に車が突っ込む事故が起きた。
が、不思議なことに、この手の事故は不思議に吸い込まれていくように起こるべくして起こる。
私が小学生の時、目の前で3人の上級生が車に跳ねられるシーンに遭遇している。
対向車線を走っていたそのトラックは車線からはみ出して横切り、私の数メートル先前にいた児童を跳ね飛ばし田んぼに落ちてとまった。
跳ね飛ばされた衝撃で3人の児童は土手に落下。落ちたところが土手だったのでそれがクッションになり誰も亡くなることはなかったが、当然重傷だったし、目の前で起きた血みどろの光景は子供の目には地獄絵巻そのもので、それはそれは恐ろしい光景だった。
まるで吸い込まれるようにその児童に向かってくる車。他にたくさんのスペースがある。何もその児童に向かってくる必要も何もない。のにピンポイントで事故は起きた。
いつか三菱製のトラックの前輪が外れて被害が起きたのと同じように、外れたタイヤはどこかにぶつかって止まればいいのにわざわざ人のいる所めがけて進み、命を奪って止まる。
こうした事故は下手をすると天災と同じように”運命”という体のいい言葉に裏打ちされた神様のいたずらなのかもしれないと・・・そうでないと説明のしようがつかない出来事は今もって結論を出せないでいる。縁の持つ不思議さとしか言いようがない。
しかし、飲酒運転の事故はそうじゃない。これは人間の認識不足から来る一種の確信犯的行為で私の場合、事故後に相手と対面し、確認を取った。
加害者の口から発せられた言葉はあまりに人を小馬鹿にした言葉だった。
「当てたろうと思って・・・」
酒に酔っていて、相手が私でなくともそこに通りかかったものなら誰でも良かったらしい。
たまたまその現場に私が居合わせ、私が被害に遭ったわけだ。
この事故(むしろ事件といっていいと思う)は私の人生を180度狂わせたのも事実で私から未来を奪ったのは間違いない。
私がネガティブをポジティブに変える精神力を持ち合わせていたから私は立ち直ることもできたが、そうでなければ私や私のような被害者は一生苦しみ続けることになる。
このような精神状態をを作り出す酒酔い状態で車のハンドルを握ることは確実に殺人的行為で、何をどう解釈すれば業務上過失致死や過失傷害になるのか理科に苦しむ。ましてやそれを酒の所為にして逃避するなど言語道断だ。
酒を造っている人もそんな被害者を作り出すために酒を造っているわけではない。でも現実にこうした事故は今後も起き続ける。
私は幸いその事故で死ぬことはなかったのでこうしてブログで愚痴の一つも書ける幸運があるのだけど、死んでいった人たちはそうは行かない。被害者の関係者の心情もよっく分かる。
刑事処分は行政上すぐに済むけれど、慰謝料請求など民事裁判なんかすればこっちに責がないのに結審まで数年を要し、その判決までの精神状態は相当辛い。私も当時慢性胃炎になった。
事故一つで人生は全く狂うのだと認識すれば飲酒運転などは絶対できないのだけれど、やはり人間は自分の能力を過大評価し、そして自分だけはそういうことは起こりえないという全く根拠のない理屈で防壁を張る。
そして事故は起こるべくして起こる。
人は品性を求めてはいけない生き物なのかもしれない・・・