タミヤ本社
静岡市駿河区恩田原
日本のプラモデル産業の始まり
今日(こんにち)の人々の生活はプラスチックに溢れています。
プラスチックという素材は、塩化ビニール、ポリ塩化ビニールの開発を発端に始まり、時を経てアメリカの発明家、レオ・ベークランドが製造方法を開発、ベークライトという製品名で発表したことに始まります。
やがてプラモデルという趣味の嗜好が強い娯楽品が誕生することになりますが、その始まりは1936年、昭和11年頃、イギリスの木製模型メーカー〜I.M.L社がプラスチック素材の飛行機模型を世に売り出したことが始まりでした。
日本に持ち込まれたプラモデル
日本にプラモデルというものが持ち込まれた始まりは、戦後になります。
戦後 昭和29年、進駐軍として赴任してきたアメリカ軍によって九州 小倉の芦屋基地にプラモデルが持ち込まれました。
持ち込まれたプラモデルはやがて小倉の井筒屋百貨店により輸入プラモデルとして売り出されます。
最初に売り出されたプラモデルは、アメリカの戦艦ミズーリ。
日本海軍が真珠湾攻撃で撃沈した代表的なアメリカ海軍の戦艦でした。
マルサン商店による国産プラモデル第1号
原子力潜水艦 ノーチラス号
やがて東京 浅草の玩具会社 マルサン商店がプラモデルに目をつけ、苦辛の末に開発にこぎつけけ、昭和33年12月15日、日本初の国産プラモデル~原子力潜水艦ノーチラス号が発売されました。
発売にあたって、この商品の呼称が社内で議論されました。
ここで決まったのが、【プラスチックモデル、またはプラモデル】という呼び名で、マルサンはこの2つを商標登録します。
この時に取得した商標登録は、マルサンの許諾なしでは使えないものとなりました。
こうして日本にプラモデル産業の芽が誕生しました。
マルサンによるプラモデルの発売から翌年の昭和34年、タミヤ、ハセガワ、フジミといった今日、日本のプラモデル産業を牽引する静岡のメーカーが参入しますが、木製模型メーカーとして順調に成長してきていたタミヤ(田宮模型)は、プラモデル製造には深い葛藤がありました。
9に続きます。