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日本歴史紀行

大河ドラマ どうする家康 紀行 6 織田吉法師像(織田信長 公像)



三英傑という言葉があります。
すっかり定着した言葉となりますが、下剋上の只中にあった戦国時代に生まれ、それぞれ個性的で、様々な才覚と武力で近隣の強豪武家を倒し、屈服させ、やがて戦国の世を終わらせた織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人を指す、主に名古屋で使われる言葉ですが、今では三英傑と言えば、3人の尊称とわかるでしょうか。


3人の出生地が信長、秀吉が西の尾張地方、家康が東部の三河地方。

いずれも現在の愛知県の生まれ。
勝幡城に生まれ、那古野(名古屋)城主となり、清洲城主時代に桶狭間の戦いで武勇を知らしめた織田信長。

信長の死に乗じて素早く立ち回り、かつての信長の家臣を倒し、また臣下として使い、全国統一を果たした豊臣秀吉。

秀吉亡き後、関ヶ原で勝利し、江戸に幕府を開いて泰平の世を築いて戦国時代を完全に終わらせた徳川家康。





織田信長(吉法師)織田信秀 土田御前像


愛知県稲沢市平和町 名鉄 勝幡駅前


織田信長は、尾張守護代 清洲織田家の奉行 織田信秀の嫡男として1534年 天文3年に尾張 勝幡城で生まれました。


幼名は吉法師。
信秀の家老 平手政秀、林 秀貞が、傅役として付けられますが、奇抜な出で立ちで城下を闊歩する信長は、尾張の大うつけ(馬鹿者)と噂されました。

ただ、武勇の稽古には真摯に取り組み、家で次男、三男といった家督を継げないながらも、のし上がろうという気概に溢れた者を配下に、自らの軍団の強化には真剣でした。
丹羽長秀〜次男
佐々成政〜三男
前田利家〜四男など


重なる一族の敵対勢力を一掃し、尾張を統一して東海一の弓取りと称された駿河の今川義元を桶狭間で討ち取り、独立した松平元康(後の徳川家康)と同盟を結んで東を固め、全国に飛躍します。



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