徳川四天王〜本多平八郎忠勝 誕生地 西蔵前城跡
岡崎市 西蔵前町
家康に過ぎたる者と称された平八郎忠勝。桶狭間から関ヶ原まで、家康の大小57度の合戦で掠り傷ひとつ負わない最強の猛将で、家康に天下をもたらしました。
鳥居氏発祥地 渡城跡 岡崎市渡町
矢作川沿いに所領を持っていた鳥居氏。
伊賀守忠吉は、家康が今川の人質時代に支えた忠臣で、息子の彦衛門 元忠は終生 家康に仕え、関ヶ原の前哨戦〜伏見城の戦いで壮絶な最期を遂げました。
大久保氏発祥地 上和田城跡 岡崎市上和田町
天下の御意見番〜大久保彦左衛門忠教を輩出した譜代重臣の大久保氏。家康苦難の時代を他の古参重臣と共に支えた一族で、長篠の戦いでは忠世、忠佐兄弟が槍働きで奮戦し、織田信長は大久保兄弟は二股膏薬の様に敵にべったりとくっついて離れんことよ~と激賞しています。
今川義元の墓
愛知県豊明市栄町 桶狭間古戦場伝説地
史跡 桶狭間古戦場伝説地
愛知県豊明市栄町
源頼朝 誕生地
名古屋市熱田区 誓願寺
鎌倉幕府初代将軍となった源頼朝は、熱田神宮大宮司〜藤原季範の娘、由良御前を母に持ちました。後に頼朝は父、義朝と共に挙兵し、平治の乱を起こし敗れますが、由良御前は乱の前に病没していることから大宮司家が罪に問われることはありませんでした。
白鳥御陵〜日本武尊命御陵伝説地
名古屋市熱田区
熱田神宮
名古屋市熱田区
日本武尊命の妃により神璽、三種の神器のひとつ、草薙の剣が奉納された熱田神宮。
日本武尊命は伊吹山で病に犯され、故郷の大和国を目指すも、伊勢国能褒野(のぼの)郷で亡くなりました。大和武尊命のお妃である宮簀媛命(みやすひめのみこと)の手によって神宮に剣が奉納された格式の高い神宮です。
信長塀
桶狭間の戦い当日、清洲を発った信長は東を目指し、熱田神宮で戦勝祈願を行い、戦勝の礼に土塀を寄進しました。
日吉丸、小六、出会いの像
愛知県岡崎市矢作橋
尾張国 中村郷(現在の名古屋市中村区)の足軽、中村弥右衛門の倅として生まれたらしい日吉丸(後の豊臣秀吉)は預けられた寺を出奔して流浪の旅の道中、矢作橋付近の路上で寝ていたところを通りかかった蜂須賀小六の一行に頭を蹴られました。
日吉丸は小六を呼び止め、無礼であろうと一喝しました。
小六らの風体に誰もが恐れをなして避ける中、臆せずに一喝してみせた日吉丸に小六は痛く気に入って仲間に加えました。
後年、尾張織田家で出世した日吉丸(秀吉)は稲葉山城攻めの折りに、この時に知り合った小六を頼り墨俣一夜城を作り上げ、攻略の足がかりとしました。