鶴岡八幡宮
鶴岡八幡宮 大銀杏跡
承久元年1月27日(1219年2月13日)
鎌倉幕府3代将軍 源実朝が甥の公暁により暗殺され、頼朝に代表される河内源氏の嫡流が断絶しました。
鎌倉幕府初代将軍の頼朝が落馬を端に発した急死により長男、頼家が継ぎ、幕府は13人の御家人による合議制政権として運営したものの、御家人同士の争いが激化、頼家が重病による昏睡の間に北条氏が頼家の乳母家である比企家を滅ぼし、昏睡から覚めた頼家は用済みとなり、伊豆、修禅寺に幽閉された末に暗殺されました。
3代将軍は頼朝の次男て頼家の弟、実朝が就任します。
承久元年1月27日、雪が2尺(約60·6センチ)積もる中、実朝が鶴岡八幡宮への参詣中、大銀杏の幹に隠れていた甥の公暁により惨殺されました。
源実朝の墓 寿福寺
神奈川県鎌倉市
実朝の甥、公暁は頼家の長男で、頼家暗殺後に近江、園城寺にて仏門に入れられました。
成長した公暁が鶴岡八幡宮の別当として鎌倉に招かれ、父、頼家の復讐として凶行を胸に秘め、実朝暗殺を実行の本懐を遂げます。
公暁は実朝の首を持ち去り逃亡するも、追手により討たれ、これにより河内源氏嫡流の血筋は絶えました。