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躑躅ヶ崎館跡 (武田神社 大鳥居)
山梨県 甲府市 古府中町
上杉謙信の春日山城、斎藤道三の稲葉山城(後の岐阜城)、毛利元就の吉田郡山城…など、山城を本拠地とした戦国大名達とは違い、甲斐 武田氏は、平地の居館を本拠地としました。
それが躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)です。
造営したのは、武田信玄の父 信虎で、信玄誕生の2年前の1519年 永正16年のことです。
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武田神社大鳥居
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武田神社 本殿
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武田神社 大手門
武田神社は、甲府駅から武田通りを北上した先が参道の役回りで、当時の躑躅ヶ崎館は現在の右手が大手門となっており、三日月堀に囲まれた主郭部内に接見に用いた御主殿、信玄の生活の場とした本主殿、御裏方の三つの御殿が造営されました。
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信玄公御屋形図
この造りは、京の都の足利将軍家の花の御所を強く意識したもので、武家屋敷の様式と儀礼を重んじる信玄により、父 信虎を追放して家督を奪取して間も無く起きた火災による延焼後の建て替えの際に実現させました。
信玄の父、信虎の代にあった駿河 今川氏との戦いでは躑躅ヶ崎館 近辺に軍兵が雪崩れ込みましたが、信玄の名言にある~人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり~の言葉にあるように、館の周囲は信玄が信頼する重臣達の邸宅が配置され、躑躅ヶ崎館は、平地の居館とはいえ、鉄壁の防御を誇りました。
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武田神社左舷 当時の武田義信(信玄長男)邸付近
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梅翁曲輪跡
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武田神社の北の御隠居曲輪跡付近
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甲府駅南口の武田信玄公像
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甲府駅北口の武田信虎公像