
カトリック清水教会
静岡市清水区岡町
良港として清水の民に多大な恩恵をもたらして来た清水港ですが、良港であることが太平洋戦争終盤に悲劇を招くことになります。
清水地区は太平洋戦争終盤になると、何度も空襲や艦砲射撃にさらされ、1945年昭和20年7月7日の清水空襲では、市街地の半分が焼け出されることになります。
この空襲で清水地区の大部分の建物が灰燼に帰し、多くの住民が家を失います。
カトリック清水教会は、かつて徳川家康が駿府(現在の静岡市)に隠居した徳川家康の別邸「御浜御殿」として、家康の十男〜徳川頼宣が駿府城に隠居した家康のために建てた御殿で、竣工後は家康は度々やって来ては舟遊びや野外へ出かけたりしました。
やがて1935年、昭和10年、清水港や三保半島を見渡す緩やかな御殿跡地であったこの傾斜地に、フランスから来日したカトリック宣教師のドラエ神父の構想・設計する形でカトリック清水教会が1935年昭和10年に建てられました。

通常、建設されるカトリックの聖堂はレンガや石材を積み上げて造るゴシック様式ですが、日本の大工の手による木造技術で再現された和洋折衷の技術が融合した珍しい建築物とされ、特徴的な二つの尖塔(せんとう)を引き立たせるように春には周辺の桜が咲き誇り、内部の畳敷きにはステンドグラスを通して美しい光が降り注ぐという独自の美しさを生み出しました。
奇跡的に焼失を免れ、戦火の中、教会を運営してきたドラエ神父は、聖堂を救護所として信徒以外の焼け出された住民に開放しました。
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