坐漁荘 元老 西園寺公望 邸宅跡
静岡県 静岡市清水区興津町
静岡市の東、旧東海道沿いのかつての宿場町、興津には、明治時代後期から昭和時代の激動の時代に国政に影響を与え続けた重鎮の邸宅がありました。
元老
元老とは、日本史において、明治時代から太平洋戦争直前にかけて、内閣総理大臣の後継や国家の最重要決定事項において、天皇へ輔弼(ほひつ〜補佐のこと)、または奏上する重要な役割りを果たしました。
歴代元老として、初代内閣総理大臣の伊藤博文、2代総理大臣の黒田清隆、3代総理大臣の山縣有朋、4代総理大臣の松方正義、外務大臣を務めた井上馨、日露戦争の陸軍大将の大山巌、西郷隆盛の弟で海軍大将の西郷従道とかつての薩摩、長州で幕末、明治維新を契機に立身出世した者達が名を連ね、最後の元老として公家の西園寺公望が唯一、名を連ねています。
西園寺公望
西園寺公望は、祖先をたどると飛鳥時代に蘇我氏の権勢を排除して朝廷の要として君臨した藤原鎌足に行き着き、以来、4代の天皇に仕えた子の不比等。
藤原氏北家の系譜から房前、関白を務めた兼家、栄華を極めた道長と、他の元老達の及ばない貴族の血筋を持ちました。
西園寺公望は公家の最上位、五摂家に次ぐ家格の高い清華家の流れを組む徳大寺家の次男として幕末の1849年、嘉永2年に誕生しました。
2歳の時、同じく清華家の流れの西園寺家当主、西園寺師季に養子として迎えられます。
間もなく西園寺師季は病没したために2歳で西園寺家の家督を継ぐこととなりました。
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