山岡鉄舟
【 維新の締めくくりは、西郷とおれの二人であたったのだ。】
薩摩、長州、土佐、肥前 、維新の勝ち組が明治新政府の要職を跋扈する中、旧幕臣でありながら、西郷隆盛に是非ともと請われ、西郷と10年間の期限の約束で、明治天皇の侍従を務めた山岡鉄舟。
侍従を10年務めた後、皇居を去るにあたり、山岡に勲三等の叙勲が決まり、持参した外務卿の井上馨に、言い放った言葉。
この前後のやり取り…
勲章を持参した外務卿 井上馨。(井上は勲一等を叙勲していた。)
山岡
返上するから持ち帰れ。
井上
俺も丁稚(でっち)の使いじゃない! このまま帰れるか!
山岡
お前さんが勲一等で、俺に勲三等を持って来るのは間違っていないか。
勅命と言っても、お前さん達が勝手に決めたことだろう。
【 維新の締めくくりは、西郷と俺の二人であたったのだ。】
俺から見れば、お前さんなんか褌(ふんどし)担ぎじゃねえか。
褌担ぎのくせに、自分より下の勲章を俺のところに持って来るなんて、とんでもねぇ間違いだ。
そう言い放って井上を帰した山岡は、最後まで叙勲を拒否。
ただ山岡の没後、勲二等旭日重光章が追勲されました。
後に井上馨は、山縣有朋と並ぶ長州閥の巨頭となる。
維新が成り、明治新政府では西郷隆盛、江藤新平らの様に目立つことはせず、ことごとく対立する政権内部を上手く乗りこなし、井上は、三井財閥との蜜月ぶりを西郷隆盛から三井の番頭さん。と皮肉られました。