
昭和天皇
1989年 昭和64年1月7日
昭和天皇崩御
前年の9月からの体調不良から大量吐血なされ、重病が公になられた昭和天皇は、医師団の懸命な治療もありましたが、1989年 昭和64年〉1月7日、午前6時33分崩御されました。
諱は裕仁(ひろひと)
御称号は迪宮(みちのみや)
病弱であられた大正天皇の摂政宮となられて御公務をお支えになられた昭和天皇は、大正13年9月1日に発生した関東大震災とその復興による御公務に当たってもお支えになられ、国民の敬愛の念はとても高まりました。
その後の昭和恐慌、226 事件、日中戦争、そして日本を焦土と化した太平洋戦争と難しい時代を歩まれ、戦後復興に際しては、最高権力者となったGHQのマッカーサー元帥が昭和天皇との会見において、私は神の如く帝王の姿を見たと振り返り、身命を賭して国民の衣食住の保証を求め、地方巡幸を幾度も行い、全国の国民に寄り添い、励ましました。
即位された年からの内閣総理大臣は25代の若槻禮次郎(わかつき れいじろう)から74代の竹下 登まで32名におよび、その中には515事件で暗殺された犬養 毅、太平洋戦争開戦時の首相 東條英機、226事件で4発もの銃弾を浴びながら奇跡的に生還し、太平洋戦争終結に動いた鈴木貫太郎、戦後日本をサンフランシスコ講和条約において国際社会へと復帰させた吉田 茂、高度経済成長時代の池田勇人、日本列島改造論をぶち上げ、景気の安定成長を掴んだ田中角栄など、様々な宰相が政権下に登場しました。
即位された昭和元年は12月25日から
崩御された昭和64年は1月7日と、両方とも7日間でした。