源頼朝、義経 対面石
静岡県駿東郡清水町八幡 八幡神社境内
治承四年10月20日
治承四年10月20日
挙兵した源頼朝を討伐すべく、5万もの大軍を徴発しながら意気揚々に下向して来た平維盛の軍勢は、緒戦に別働隊が甲斐源氏の武田信義の軍勢に叩かれて戦意を挫かれつつも、駿河丸子で遊女を召し連れて富士川まで着陣するや、夜半に一斉に飛び立つ水鳥の羽音を、敵の大軍の襲来と間違えて逃げ惑う平家の様に、滞陣した源氏の軍勢は、多いに沸き立ちました。
その様な中で、黄瀬川に滞陣していた頼朝の元に、僅かな供回りを従えた小柄の若武者が面会を求めて来たとして、勝ち戦に乗じて取り入ろうという胡散臭い輩だと問答が騒がしくなります。
頼朝が近侍している土肥実平に何事の騒ぎかを問うと、佐殿に所縁のあるという妙な若武者が訪れて、佐殿に面会を求めているとして、佐殿からその様な話を耳にしたことなど無いと、目通りなどとんでもないと申し聞かせておりますと聞いた頼朝は、幾歳ほどの若武者か?と問うと、二十歳ほどでありましょうか。と土肥実平が応えると〜
【それならば、陸奥に居るという九郎であろう。】
と頼朝は急ぎ内幕に呼び寄せよと命じると、小柄ながら、見事に着飾った若武者が面前に畏まり〜
【某は九郎義経、幼き名は牛若。この度、右兵衛権佐殿が旗揚げしたと聞き、奥州平泉より馳せ参じました。】
と恭(うやうや)しく述べると、頼朝は畏まる義経の手をとり、よく遥々と参ってくれたと労をねぎらいました。
源義朝が平治の乱で敗れ、尾張知多半島の野間で非業の死を遂げて以来20年、頼朝は血縁者と呼べる者との面会すら果たせずにきました。
義経との面会は、異母弟ながら初めて果たせた嬉しさを表し、これまでの源氏一族が離散して滅亡の危機を乗り越えてきた先に見えた光明を喜びました。
八幡神社拝殿
太鼓橋
捻じり柿
義経との対面を喜ぶ頼朝が柿を食してみたところ、渋柿だったため捻じって捨てた後に芽が出て成長した柿の木。
幹から捻じれたまま成長してしまったことから捻じれ柿と呼ばれました。