
蓬莱橋
ギネスブックにも認定されている
世界最長の木造人道橋 【 蓬莱橋 】
2018年11月に訪問しています。
現在の静岡県 島田市の大井川に、明治12年1月に架けられた人道橋です。

蓬莱橋ライトアップ
蓬莱橋の名前の由来は、明治3年にまで
さかのぼります。
当時の静岡藩主で、徳川宗家 16代当主〜徳川亀之助【後の徳川家達(いえさと)】卿が、茶畑の広がる牧之原台地を巡察した際に、案内を務めた中條金之助景昭にこう語りました。
中條よ、
【 農は里の宝、 向こうの山は宝の山、 皆々で力をあわせ、宝の山を切り開けよ…】
橋が架かり、いざ、名前を付けようとなった時、中條金之助景昭ら、牧之原台地の開拓者達が集まり、昔、家達卿をご案内した時に宝の山を切り開けよと我等を励まし下された。
蓬莱…
中国の神仙思想に伝わる仙人の住む山。
不老不死の薬を持つ仙人が住む山と考えられていた蓬莱山。
日本では、理想郷との意味合いが強く、徳川家達卿は、それまで不毛の台地とされ、江戸時代を通して捨て去られていた牧之原台地を一面の茶畑に変えようとしていた旧幕臣らを励ます意味合いも込めて向こうの山は宝の山と例えました。

徳川家達
大政奉還し、政権を返上し、後に謹慎、隠居の身となった最後の将軍〜徳川慶喜の後を継いだ徳川宗家の当主。
十三代将軍〜徳川家定の御台所、天璋院篤姫に質素倹約を常に育てられた英邁闊達の当主。
旧幕臣らからは、徳川の治世が続いていれば、十六代将軍となられたであろうということから、敬愛の想いを込めて十六代様と呼ばれました。