高天神城跡
静岡県掛川市上土方
2017年 11月、月の後半に高天神城へ行きました。
ここは、甲斐 武田氏と徳川氏が遠江、遠州地方の覇権を賭けて争った城で、ここを征した者が東海を征するとまで言われた天然の要害でした。
かつて駿河、遠江に侵攻した武田信玄が攻略を試みたものの落とせず、次代の勝頼が奪取しました。
案内板
登城には少々、覚悟が必要です。
三日月井戸
金魚が泳いでいます。
大河内石牢
武田勝頼の調略と、旧今川家臣の城兵が内応したことにより、一度は城は武田の手に落ちました。
徳川方の軍監だった大河内源三郎政局は武田の捕虜となりましたが、天正九年〜1581年に徳川軍が城を奪還するまでの約八年間もの間、この石牢に閉じ込められ、寝返りの強要と拷問に耐え続けました。
徳川軍により救出された政局は視力もかなり落ち、足もほとんど不自由になりましたが、家康と秀吉が相見えた小牧・長久手の戦いの戦いに参陣、戦死しました。
この石牢、昔は中を伺えたのですが、現在は土嚢が敷き詰められ、中は塞がれてしまいました。
本丸付近
高天神城跡碑
御前曲輪
合戦戦没者慰霊碑
高天神社
本殿
本丸から城下の眺め。
一度は城を落とした武田勝頼でしたが、徳川に包囲された高天神城を救援できなかったことで大きな失墜をもたらし、多くの家臣、従ってきた地侍らが離反し、滅亡を遂げたのは高天神城落城の翌年春のことでした。