観測船 宗谷
東京都品川区東八潮
1958年、昭和33年1月
第二次南極観測隊の隊員を乗せ、越冬隊を迎えに急行した宗谷は、約20キロ四方の彼方に続く厚い氷海に閉じ込められました。
自力での氷海脱出は難しいと判断した観測隊を所管する文部省(現在の文部科学)南極地域観測統合推進本部は、アメリカに支援を要請し、アメリカ側も受諾し、砕氷船バートン・アイランド号を派遣することを返信しました。
この時、バートン・アイランド号は昭和基地の1600キロ彼方の外洋から全速力で宗谷の救援に向かいました。
宗谷はこの間にも、自力での氷海脱出を試みて懸命にチャージング(船体を氷板に乗り上げ、船体の自重で氷板を割る行動)を繰り返してみ
るも、ついには、砕氷中に氷魂を船底に巻き込み、スクリューを破損してしまった宗谷は自力航行すら ままならない状態となってしまいました。
それでも発破による氷魂爆破とクラック(氷盤の裂け目、割れ目)を狙って不眠不休の突破を計った結果、2月6日に宗谷は傷だらけになりながらも外洋脱出に成功しました。
翌日になり、アメリカのバートン・アイランド号が到着します。
4800馬力の宗谷に対し、13000馬力の航行能力を持つバートン・アイランド号は桁違いでした。
宗谷を先導する格好で昭和基地のあるプリンス・オラフ海岸へ入ります。
ブリザードの吹き荒れる天候の中、昭和基地から少し離れた場所で寒さに強い樺太犬15頭は繋がれていましたが、彼らには宗谷以上の過酷な運命が待ち受けることになります。
リキ〜旭川生まれ
シロ〜利尻島生まれ