
豊臣秀吉(幼名~日吉丸) 像
静岡県浜松市中区元城町 浜松東照宮
秀吉が武家への仕官を夢見て尾張を飛び出し、松下家への仕官を得たのが現在の浜松市です。

日吉丸と仲間たち 像
名古屋市中村区 中村公園
生まれ故郷の中村。
預けられた寺を脱走するなど、幼少期のエピソードも残る地で、生誕地付近と伝わる現在の中村公園に仲間たちとの像が建立されています。
1537年 3月17日 天文6年2月6日、尾張国中村
郷の長屋で、農民とも織田家の足軽とも言われる木下弥右衛門と妻 なか の間に男児が誕生しました。
後の天下人 豊臣秀吉です。
秀吉は幼名 日吉丸、7歳頃に父が他界、母 なか の再婚相手、竹阿弥とは折り合いが悪く、日吉丸は家出同然で飛び出し、尾張から遠江へと行商しながら渡り歩きました。
やがて駿河 今川氏の陪臣の松下長則、嘉兵衛之綱 父子と遠江国長上郡(現在の浜松市)で出会い、侍になることを夢見る日吉丸を気に入った松下父子は居城 頭陀寺城へ連れ帰り、下働きをさせることにしました。
日吉丸は持ち前の明るさと人懐こさで女中の人気者となり、次第に出世しますが、その事で妬みを生む者も現れ、次第に家臣同士の仲違いも起きたことから、松下父子は日吉丸に金銭を渡して転出させました。
松下家を去った日吉丸は、故郷 尾張に戻り、織田信長に仕え、さらに立身出世を遂げます。
大河ドラマ〜どうする家康〜で描かれる秀吉は、信長に重用され、やがて家康のライバルとして君臨する姿が楽しみです。
秀吉は、天下人となると松下父子に拾われた恩を忘れず、子の嘉兵衛之綱に浜松の東、遠江袋井の久野に所領一万石を与え、地方の豪族、松下之綱を大名に取り立て、初の仕官の場を授けてくれた恩義に報いました。