島 義勇 像
北海道札幌市中央区宮ヶ丘、北海道神宮正殿前
島 義勇は、北海道の開拓の父として特に札幌市民に敬愛されている人物です。
1869年明治2年9月、旧佐賀藩士の島 義勇(よしたけ)は、開拓使、開拓判官として北海道へ渡り、開拓三神の御霊代を背負って函館から小樽の銭函村へ、さらに12月、当時未開の原野だった現在の札幌に入りました。
島は、アイヌ人にコタンベツの丘と呼ばれる高台に案内されます。そして未開の森の札幌の地を見下ろせる高台こそ開拓三神の鎮座の地に相応しいと考えました。
現在の札幌の地に大望を持って都市計画に挑んだ島でしたが、厳冬の北海道で、開発は島の思い通りには進まずに予算を使いきり、三ヶ月で解任され北海道を去ります。
島は、秋田県令等を勤めた後に憂国党を結党し、明治7年に故郷の佐賀で、元参議江藤新平や不平士族達と共に反乱(佐賀の乱)を起こしますが敗れ、明治7年4月13日、梟首刑となりました。
島は、昭和13年に開道70周年を迎えた北海道神宮の境内に創建された開拓神社の祭神の内の一柱に選ばれています。
北海道神宮 本殿
北海道札幌市中央区宮ヶ丘円山公園
北海道神宮は、1869年明治2年、北海道の開拓、道民を守護するために、明治天皇の勅使により開拓の守護神として、大国魂神、大那牟遅神、少那名神の三神を東京の神祇官で北海道鎮座神祭を斎行されました。
これが北海道神宮の創祀とされ、御霊代は、開拓使の札幌本府建設の命を受けた開拓判官の島 義勇が函館から小樽市銭函の開拓使仮役所に仮安置し、12月に札幌市に入り、御霊代を奉遷しました。
神宮の社殿が現在の円山に完成するのは明治4年 のことで、後の北海道の発展に伴い社格も、官幣中社、官幣大社と昇格し、伊勢神宮御正殿の古材を下附され、社殿を造営しました。
昭和39年10月5 日、明治天皇が御増祀され、四柱を御祭神とする北海道総鎮守として崇敬されています。