あらたまの紅柿ひとつ鏡台に 伊藤欣次
あらたまの年の「あらたま」は枕詞であるが、この「あらたま」を新年の意として用いたものであろう。
あらたまの年の、の紅柿をポツンと一つ鏡台に置いたというのである。紅柿は、収穫のあとに実生りの祈りとして残しておいた木守柿であろうか、あるいは干し柿であろうか、いずれにしても読者はただ全き紅の色合いを思い浮かべるばかり。なぜなら、その置きどころが女の艶なるものを映し出す鏡台であるというからには美しいすがたに決まっている。
作者はあたりをはらうかのように存在感を示す紅の一個がいとおしくてならないのである。あらたまの年のめでたさをこういう角度に見届けた心には何か秘めたるものの明るさが灯っているようである。
初鴉羽をたたむにゆっくりと 山森小径
お正月の季題はなべてその「めでたさ」を本情としている。
初鴉もしかり。元日の早朝に聞く鴉の声は、神の使いのように思われもするのである。そんな初鴉の羽のたたみようもことのほかゆっくりと優雅であった。つまり作者もまた初鴉に気息を合わせるかのようにゆったりと目出度さを感受されているのである。
嫁が君これぞ伊勢なる一刀彫 神﨑ひで子
「嫁が君」とは正月三が日の鼠のこと。ちなみに、子(鼠)は干支の先頭に置かれているが、令和2年は子年である。古くから鼠は大黒様の使いとされてお正月にもてなす風習もあったというが、一般的には嫌われものとしての鼠であろう。
嫁が君古人は心ひろかりし 富安風生
なるほど鼠を嫁が君として歓迎するとは、人間の敬虔なる心の現れであろう。
さて掲句の、伊勢の一刀彫とはまこと由緒あるものに違いない。家宝とも言えるものかもしれない。
そんな大事なものにやってきた鼠はすでに目出度い、嫁が君は齧らんとして齧らざるというところであろう。いずれにしても作者の嫁が君に寄せる気持ちもまた古人同様にやさしいものとなっているのである。
凧三田の田んぼに一つきり 東小薗まさ一
三田は厚木市の東部にある町の名で、実際は三田(さんだ)と称するが、それを知らなければ大方の人は三田(みた)と読むであろう、そして字面から三つの田のあるところと印象するであろう。事実に即して「さんだのたんぼ」でもいいが、知らないままに「みたのたんぼ」と読んでもいい。
むしろその方が字余りにならずに、すらっと読み下せていい。田んぼの上に広がった空を独占したかのような悠然たる凧(いかのぼり)が思われるものである。
大年の大三角を仰ぎけり 平野 翠
冬の大三角とか冬の大三角形というのは、オリオン座のペテルギウス、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンという一等星で構成される三角形の星々、そこにはまた一角獣座も含まれるとか。
星にくわしくないが、とにもかくにも冴え冴えと鮮やかに眺められるのは冬の夜空の星ではなかろうか。大晦日の大三角を仰ぎてやまない作者。その心に往来するものは何であったろうか。
さまざまにして一切は星のきらめきに吸われていったことであろう。今年はいい年であったという清らかな思いに満たされるのである。
連凧の一番上の強かりき 加藤洋洋
「凧」は春の季題であるが、よく見かけるのはお正月である。凧揚げというのは本来との競技で相手の凧の糸を切り合う凧合戦であるというが、子供のころからお正月の遊びとして馴染んでいるものでもある。
連凧は一本の凧糸に沢山の凧を繋げて揚げるもの、これを揚げるのには相当の気合が要るのではないだろうか。掲句は「一番上の強かりき」と、まさに直截に言い切った。その力強さが「強かりき」そのものである。風をきって、風にあらがうさまも思われるものである。
大根引く力士のやうな巨大もの 菊竹典祥
一読凄いなと思う。力士のようなと言えばもう、巨大である。
そこをまた畳みかけるように、いや何の気なしに「巨大もの」と言い切るあたりが何とも清々しい。新鮮な驚きがそのまま一句のリズムにのっている。俳句に手練れになってくると、こうは詠えない。青草俳句会最高齢の典祥さんならではの迫力に満ちていて、こんな大根にあやかりたい気持ちや切である。
寒月や温泉津温泉下駄の音 河野きなこ
温泉津温泉(ゆのつおんせん)の固有名詞でもって寒月が一層冴え冴えとする。湯治の人のものであろうか、聞こえるのはただゆったりとした下駄の音のみ。世界遺産である石見銀山の銀を積みだした港のある温泉街、そんなレトロな風情はいかばかりであろうか。
訪れてみたいものである。
寒の雨行き先待ちの救急車 漆谷たから
席題に「寒の雨」が出ると、一息に仕上がった。丁度「青草」の新年句会に出向く途上に救急車に出くわしたというのだ。
受け入れ先の病院がなかなか見つからぬとかで救急車の赤いライトが折からの寒の雨のなかを点滅するばかりであったのだろう。こういうところをも俳句にしようとする俳句初学の熱意に見習わねばならない。
塵の無きテーマパークや寒雀 奥山きよ子
人住まぬ家の寒椿おびただし 石原虹子
平袖の白き産着や冬うらら 松井あき子
豆苗に薄き沙を張る冬囲 米林ひろ
初針や緩き釦の付けなほし 加藤かづ乃
天辺のこの座譲らぬ寒鴉 湯川桂香
寒禽の声の高さや竹箒 佐藤昌緒
吹き降りの雨を来たるや初句会 末澤みわ
病院のエントランスは水仙花 黒田珠水
大年に届く大鯛退院す 二村結季
冬晴や最下位走る医学生 中原初雪
ブティックの狭き間口や室の花 大山 黎
谷根千を歩いて食うて年始め 木下野風
図書館の新刊棚や日脚伸ぶ 森田ちとせ