皆さん待望の『青草』2018年秋季・第4号が発刊されました。
「より多くの人に誌面に登場して貰いたい」との草深昌子主宰の編集方針が反映されて、一段と読み応えのある紙面となりました。
青草往来 草深昌子
大峯あきら先生が急逝され、四月の吉野吟行は淋しかった。桜は早くも散って、全山緑の中を、水分神社まで下っていくと、ふっと冷たい夕風がよぎった。その時、透き通った一羽の鳥の声が森閑と鳴り響いた。ツキ、ヒ―、ホシ、ツキ、ヒーホシ・・鵤(いかる)であった。
「月、日、星」とは宇宙そのものではないか。「宇宙はあそこでなく、ここである」、そう語られた通り、独自の宇宙性俳句を確立された大峯先生のお声ではないか。
鵤鳴くほどに大峯あきら恋ふ 昌子
茫然自失の日々の中にも、「青草」の句会は、いよいよ熱を帯び、笑いの渦に包まれていった。うかうかしてはおれない、いつの間にか気を引き締めなおしている私を発見して嬉しかった。今更に、俳句という文芸は、心身を鍛えてもらえるものだと気付かされている。
ふと、ひと昔も前のことを思い出した。プロ野球の王貞治氏は、奥様に先立たれ、重病を体験されながら、監督となって尚、ユニホームを脱がずに着続けられていた。 その理由を問われたとき、「ときめきかな。グランドという勝負の場にいるとき感じるときめき。この齢になっても一投一打にドキドキする。生きている証みたいなものを強く感じるのです」と答えられていた。
野球のグランドを「句会」に置き換えると、そのときめきがよくわかる。一句一句にドキドキするのも俳句によく似ている。俳句を通して人に会い、物に会い、言葉に出会う、そのさまざまの何と有難いことだろう。
大峯先生は、「死ぬ」という言葉すら超えた「存在」というものを思想的にも宗教的にも文学的にも教えてくださった。それらを、これから先、老いるという新しい体験のなかで、私自身の言葉としてどう表現してゆけるだろうか。
とにもかくにも俳人は、最後の最後まで真剣に、真っ正直に生きよと身をもって示してくださったのであった。
青山抄(4) 草深昌子
雲去れば雲来る望の夜なりけり
口に出て南無阿弥陀仏けふの月
常磐木の丈高ければ枯木また
凩やあはれむとなく人の杖
夜もすがら書きつづきたる霜の文
絨毯を踏んでグランドピアノまで
朽木とも枯木ともなく巨いなる
往き来して雪の廊下やただ一人
ひんがしに傾く木々の芽吹きかな
踏青のいつしか野毛といふあたり
ふと寒くふとあたたかや遅ざくら
大仏の肩に耳つく春の雷
一軒に遠き一軒ミモザ咲く
墓地のある景色かはらぬ紫木蓮
永き日の丸太担いで来たりけり
その木ごとゆらりゆらりと剪定す
前に川うしろに線路柏餅
引戸ひく音の八十八夜かな
津に住んで津守といへる棕櫚の花
そこらぢゆう煤けて兜飾りけり
芳草集(草深昌子選) 坂田金太郎(巻頭)
いつになく喋りすぎたる蝶の昼
春の風人来て無沙汰わびにけり
次の世も男でいいか蝉の殻
此処よりは駿河の国や式部の実
ちりちりと明くる野面の霜囲
映画館出口しぐれてをりにけり
水際の砂の白さや日脚伸ぶ
青草集(草深昌子選) 山森小径(巻頭)
黒焦げの団子を分かつどんどかな
大寒の暮れて雨音激しかり
蝋梅の開ききらぬを啄ばめり
春立つや鳴子こけしの花模様
大声で何か指さす磯遊び
八角の観音堂や榠樝の実
冬晴や松の合間を船のゆく
(更新:坂田金太郎 2018/08/21)