青草俳句会

草深昌子主宰の指導する句会でアミュー厚木での句会を主な活動としています。

「青草俳句会」吟行記

2019年10月20日 | 吟行記

令和元年9月26日(木)、これ以上ないというほどの秋晴のもと

青草俳句会一行22名は飯山観音へ吟行した。

飯山観音と称される長谷寺(ちょうこくじ)は坂東三十三観音霊場第六番札所である。
  

当日の作品から

主宰作品

観音に千の雑木や天高し       昌子
庫裡橋を真つ赤に藤は実となれり
蝶々の黒いのがくる曼珠沙華
秋晴や遍路の鈴の一つ鳴る
ぎんなんやここはさがむの金剛寺

 

主宰特選句

犬槙の幹のうねりや秋の声         小径
どんぐりやつま先力む坂の道        きなこ
天高し二天忿怒や千社札          一父
山道の切り株に座し秋扇          ひろ
石段のゆがみ割れ目や昼の虫         さとみ
目の前の木陰に一つ烏瓜          一枝
暗がりに藤の実垂るる金剛寺        珠水
一人行く飯山の坂蚯蚓鳴く           博祥
欄干のほどよく温し秋の水           かづ乃
刈田道夕やけ小やけ歌ふかな          美知江
蜘蛛の囲のしかと組まれて秋の風      草蛙
犬槙の六百年や蔦かづら          一父 

 

(小鮎川にかかる万年橋で記念撮影)

記事、写真 松尾まつを


「青草俳句会」選後に・令和元年9月   草深昌子選

2019年10月09日 | 「青草俳句会」選後に

寝返ればベッドより落つ熱帯夜    東小薗まさ一 

 熱帯夜=寝苦しい、という図式ではあるが、この範疇で俳句を作っている限りこんな奇抜な句は生まれない。

 落ちたという事実があればこその熱帯夜の一句であろう。

だが俳句そのものには、そう一概に決めつけられない余裕を持っている。

寝返りを打ってはベッドから落ちそうになって、何とか蒸し暑さに耐えている、その忍びごころを静かにも詠いあげたともいえる。

 「転んでもただでは起きぬ」、そう失敗しても、そこに有益なるものを見出すということ、まさ一さんにはそういう執念がある。

これぞ俳句に向き合う執念の爽やかさである。 

 

目の前の木陰に一つ烏瓜       堀川一枝 

 かの真っ赤な烏瓜はいつも不意にわが前にぬっとあらわれるものである。本当にこの通りなのである。

作者の驚きがそのまま何の飾り気もなく一句になっているから、本当にそうだよねと思わず二重丸が付く。

見たものをありのままに写すということほど難しいことはない。

そう、「目の前に」と言えるであろうか、まして「木陰に」と言えるであろうか、そして「一つ」とぴしっと抑えられるであろうか。

一枝さんもまた俳句に熱情を傾ける人である、日々こつこつとわが道を行く。

だからこそ、何にも勝る真っ赤な烏瓜に出くわすことができたのである。 

 

土深く打ち込む鍬や秋の空      菊竹典祥

何と力強い一句であろうか。まさにほれぼれとするような秋天の青さ、秋天の高さである。

天と地の美事生る呼応が決まっている。

典祥さんは、お謡い何十年というプロ級のご趣味に加えて、俳句の道を突き進み、なお家庭菜園に精魂を詰められる。

 私のような腰折れは、ただただその姿勢を敬うばかり、そして一ミリでも近づけますよう、精進しなければと思うばかりである。 

 

どんぐりや爪先力む坂の道      河野きなこ

 「爪先力む」に思はずにっこりさせていただいた。この句に於ける団栗の愛らしさはたとえようもない。

作者の実感がそこにこもっているのである。

俳句の表現において、そこはこうした方がいい、ここはこうした方がいい、と一句を成就させんがための添削というものを信じてほしいとは思うものの、時には一切手出しの出来ぬものもある。

 「爪先力む」がこれに当たるものである。 

 

野分あと斜めに揃ふ支へかな     泉 いづ

先に「爪先力む」が作者ならではのものと評したが、この「斜めに揃ふ」もまた、

静かにも作者の信念がこもっている句である。

 読者は「へえー」と思うしかない。

いづさんもまた菜園を営まれるが、この畑の生り物に多くの支柱を添えられていたのだろう。もちろんあち向きにこち向きにである。

 それが台風一過の秋晴に見ると、一斉に斜めに揃っていたというのである。

台風のなせる業である。もちろん畑の支柱にあらずとも、何かものの支柱というイメージでとらえればいい。

作者身辺から見出した、何物にも代えがたい描写である。

〈朝露を土ごと返す野良仕事  いづ〉も爽やか。 

 

天高し二天忿怒や千社札       鈴木一父

 飯山観音と称される長谷寺(ちょうこくじ)は坂東三十三観音霊場第六番札所である。

 これ以上ないというほどの秋晴のもと、我らが「青草」30名近くは、この飯山へ吟行した。

 この爽快なる一句こそは、飯山観音への大いなる挨拶句である。

作者の心意気が盛大でなければ詠えないものである。しかしながら下五に「千社札」とそっと置かれたあたりにやさしさも偲ばれるものとなっている。 

 

氏神を清めて九月来たりけり     日下しょう子

何月であっても月の変わり目にはちょっとした気の引き締まりを覚えるものであるが、ことに「九月」という月は二学期の始まり、夏の猛暑を吹き払うような感覚もあって意識を新たにするのではないだろうか。台風シーズンの気構えもあろうか。

 まして9月1日は震災記念日でもある。ここ厚木市でも甚大なる被害をこうむったに違いない。

 先づもって、産土神を清められた、そこで気持ちよく九月の到来の実感がわいたのであろう。

「清める」は「浄める」ということ、平たく言えば掃ききよめられたのである。 

 

岡のぼる飛蝗一匹道づれに      平野 翠

 岡の上まで、飛蝗と、しかもただ一匹の飛蝗とともに一歩また一歩と上っていくのである。

この「岡」がいい。山では飛蝗の存在が薄れてしまうし、そこらの田畑では何の心情も呼び覚まさないであろう。

事実に即すということは、作者の無意識でありながら、その喜びが、その風情が着実に読者に伝わるのである。

 我々人間は、自然の力に励まされて生きていることに気付かされるものでもある。 

 

山裂けしあとの月日や鰯雲      森田ちとせ

句会で席題を出したのは初めてであった、その一番目の「鰯雲」なる席題で生まれた一句である。

日常身辺から端を発する鰯雲が多くあったなかで、掲句のスケールは空間といい時間といい、すこぶる大きい。

当然の結果として、全天に及ぶような鰯雲の広がりが切なくも感じられるものである。

「実は夕べ御嶽山の噴火をかえりみるニュースを見まして」という、これはあくまでも発想の契機であって、登山家ちとせさんならではの体感のかぶさってくる「山裂けしあとの月日」である。

山が裂けるという表現からは亀裂の深みが思われて、畏敬をこめた奥行き深き一句となっている 

 

太刀魚を捌く男の腕太し       福山玉蓮

 1・5メートルもあるという細長い銀白色の太刀魚。尾の方になるにしたがって細くなる、その形状はまさに太刀である。

 漁場で、あるいは市場で見かけた風景であろうか、いや最愛の旦那さまかもしれない、それはともあれ見るからにたくましい太刀魚捌きではある。

 季題「太刀魚」が決まっている。これが秋刀魚ではサマにならないのである。 

 

行合の空を螇蚸の唸るかな      伊藤 波

 「行合の空」とは夏から秋へと移り変わるころの空のことである。この頃の空には夏の雲と秋の雲が混在している。

そんな行合の空のもと、螇蚸が跳んだのである。

だか掲句は単に跳んだのではなく、「螇蚸の唸る」と表出したところがさりげなくもミソになっていて、キチキチの生命力をあらためて思わせられるものとなっている。 

 

ハローウイン魔女は幼き双子かな   渡邉清枝

新豆腐風よく通る店構へ       二村結季

江の島の緑あかるき秋の潮      山森小径

満天の星に届くか虫のこゑ      加藤洋洋

早稲の穂は垂れて晩稲は立ちあがり  石原虹子

きちきちの音ほど飛ばぬ大野かな   坂田金太郎

刈田道夕やけ小やけ歌ふかな     長谷川美知江

母の手の皴を深くし茜掘る      松尾まつを

竹の春そのいきほひを我にもて    佐藤昌緒

蜘蛛の囲のしかと組まれて秋の風   間 草蛙

秋の潮わが落日を曳くごとく     伊藤欣次

初秋やお茶の渋さに甦り       中野はつえ

欄干のほどよくぬくし秋の川     加藤かづ乃


『俳句四季』10月号

2019年10月06日 | トピックス

『俳句四季』10月号

 

   四季の美  

   良夜             草深昌子(青草)

 

  みどり児に宛てて文書く良夜かな    昌子

 

難産の末に生れた孫を一か月ほど我が家で預かったことがある。朝から晩まで、泣いて泣いて泣き通しであった。火の付いたような泣き声には全くお手上げであった。

泣きながらも、じいっと考え込むような、何か深く見つめるような表情は、赤子にしてはちょっと怖いほどである。心配が昂じて、一家うち揃って病院へ連れて行ったが、赤子は泣くのが仕事と一笑に付されてしまった。

「一人の赤ん坊に、ぞろぞろと大のおとなが取り巻いて、ゆすったり、あやしたり、

あたふたしているのがいけないのです、赤ん坊はよくわかっていて、わざと困らせているのですよ」と見知らぬ夫人に叱られる始末。

生後一か月に満たない命に不安をかきたてられ、誰かに助けてもらいたいのは若きママより年老いた婆の方であった。

 


  目覚めたる赤子の頬のふくらみて

  かがやくごとき欠伸となりぬ     伊藤俊郎

  秋風の赤子に眉の出できたり       昌子

 

赤子は生後二か月ともなると、オーオー、ウーウーと声を上げて上機嫌となった。

手足をバタバタさせ、ついには喉を鳴らして、顔じゅうを真っ赤にして乳を飲んでいる。

全身全霊で飲んでいる。そしてふっと、眉をひそめたりするではないか。

人は生まれ落ちたときからひとり、独りで戦っている。


私の好きな画家小倉遊亀が百五歳の長寿を全うされたのは、この頃であった。

「何はあれ、自分の力のありったけを尽くしたい。絵の上のみならず、嘘を言わず、

言い訳をせず、へこたれず、生のままにやっていくこと。画家の絵描き臭はこまりもの。

いつまでも素人としての初心さ、新鮮さで生きてゆきたい」と語ったのは晩年のいつ頃のことであったろうか。

かの大胆にもデフオルメされた裸婦の絵のタイトルは「月」また「良夜」である。

 

 

  雲去れば雲来る望の夜なりけり     昌子


 ――これは十五夜との対面の句。雲一つない大月夜ではなく、どちらかと言えば雲は多い方である。大きな雲がつぎつぎにあらわれてはどこかへ消え望月を大空へ残してゆく。

望月の従来の情趣は一句から一掃され、代わりに満月をつぎつぎに追いかけるダイナミックな雲の運動をいきいきとつかんでいる――大峯あきら先生からいただいた最後の選評である。

俳人大峯あきらのポエジーの原点は、

芭蕉の「見る処花にあらずといふ事なし。思ふ所月にあらずといふ事なし」であった。

「月とか花とかいうのは景色ではなく、個体を超えた大きな命、命そのもののリズムである。

全ての生き物はこの根源的なリズムから逃れることはできない」と説かれた。

満月を見上げると思わず手を合わせるようになったのは、いつの頃からであろうか。 

今は亡き師も、父も母も夫も、誰も彼も、月の命に生きてひとつ、皓皓たる光を放ってやまない。

 

青草俳句会

月今宵昭和の書籍片したり       伊藤 波

月光の子に引かれゆく駱駝かな    小原旅風

無月とな管球アンプに灯いれむ    伊藤欣次

百年の縁の木目や月祀る                      山森小径

眠る前もいちど仰ぐ今日の月     石堂光子

名月や俳句人生一筋に        鈴木一父

ざつくりと家計簿つける良夜かな   古舘千世

月光のハチ公像に立ちにけり     米林ひろ

月代や舞台に上がるトウシューズ   加藤かづ乃

病窓の一つ一つに今日の月      佐藤健成

波寄せて過去か未来か月の道     松井あき子

花嫁の荷をとく母の良夜かな     奥山きよ子

月を背に一人踊るや芝に影      漆谷たから

となり家に瓜抱へゆく夕月夜     二村結季

七沢の月今生となりしかな      河野きなこ

臥待の月は山よりのぼりけり     間 草蛙

満月や兎はどこと子に問はれ     福山玉蓮

芝の上にわが影濃ゆき月今宵     石原虹子

月明のあたり一面真白なり      市川わこ

宵闇の葉擦れの音の街路かな     黒田珠水

名月や動くもの無き路地の奥     佐藤昌緒

門灯のまだついてゐる望の夜     堀川一枝

読み了へて静かに月を仰ぎけり    柴田博祥

海岸の巌に鑿あと月明り       川井さとみ

四海波静かなりけりけふの月     松尾まつを

(東京四季出版「俳句四季」令和元年10月号所収)