Catch the words

from Shizuoka/name is "slide"

午前の懺悔

2014-07-24 | Weblog
7月24日、木曜日。
晴れ。
17時の鐘がさっき鳴ったばかりです。

暑いです、扇風機の風が温風で
今日も熱中症要注意な日なようです。

そんな中、午前中から
あちこちと用があり行ってきました。

母の友人の旦那さんがお亡くなりになって
母を葬儀場まで送迎してきたのだけど、
やっぱり、人が亡くなるのは会ったことない方でも、
テレビニュースの中のことでも、悲しいことです。

いや、正確には
悲しいという感情と相対して
複雑な気持ちになっていました。
言葉にするには難しすぎる感情なのだけど…

もしかしたら、悲しいとは、哀しいとは違う。
人が亡くなったのにすぐそばで、
駐車場で待ってる自分は悲しんでる人たちを見ている
普通に佇み、喪服も着ずに
悲しみの中にはいるのは、表面的なもののように思った。

心の中では
『安らかに』…と祈っているのに
本当に心の底からそう思っているのか?
と、
もう一人の自分が自分に疑問を呈す。

悲しんでいる風景のそばで
僕自身の在り方が、何か、いやでね…(>_<)

うん、でもやっぱり
『安らかに』と、風景を思い出すと思う。ご冥福を、お祈りします。

みんな安らかなばしょで
休んでほしいです。
(家族を思い出してしまった)

複雑になりながら
一旦帰ってきて、再び外出。
用事をやっとこさで済ませ夕方帰ってきて
グッタリ休憩後、このブログを書こうとしたけど

行ってきたデパ地下のことがなかなか書けない。
おかしいなと思ったら
午前中の、葬儀場のそばにいる自分のことに
気持ちがいってしまっていて
デパ地下のことは書けないのだと、ふいに思いまして
正直に、心の中のわだかまりを書いてしまいました。(>_<)

人、一人が亡くなることは
僕にとって、自分で思う以上に特別なことのようです。
心の底から祈りたいと、思うのです。














悲しんでいる人のそばでは
悲しみの風が吹いているでしょう

僕は、
悲しみの風のそばで
何をしたらいいのでしょう

なんだいそんなことって
言われてしまうかもしれないね

あの風のそばでは
風の一つ一つが細かく繊細に
震えているようで

心から祈れない僕を
僕は責めては
青空に救いを請う

悲しみのあるところには
祈りの光があってほしいと
思った日を映す空に


コメント
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