日常のなかに、喜怒哀楽がどれくらい詰まって
各々の感情は、どんな比率で用意されているのだろう。
もしかして、「喜」や「楽」を安易に逃してしまっているかもしれない。
もしかして、「哀」や「怒」ばかりに敏感になっているかもしれない。
または、喜怒哀楽の間間にある他の感情
そのまた間間にある、微妙な感情
逃してはいないだろうか?
見逃したり、聞き逃したり、手放してしまったり
しているのやも。
世の中に起こる様々な現象。僕らのそんな数限りない感情とは
切っても切れない関係にある。恐らく。
どれだけ感じて、どれだけ想像して、どれだけコントロール出来て、どれだけ
人の感情に関心を寄せられるか。
一人の人間を創り上げるのは、その他大勢のそんな感情によって支配されたりする。
人にどれだけ、思いを持てるか。
関心を寄せるだけでもいい。
色眼鏡はいらない。
出た杭は、打つ必要ない。
可能性を広げてあげるには、何が必要だろう。
どこか一つでも、一カ所でもいいから、逃げ場を与えてあげること。
自分の喜怒哀楽ばかり優先させず、私情ばかりで相手を追いつめないこと。
考える余地を与えること。
どんなシーンにも、風穴がほしい。
この地上だの、映画館だの、セレモニーだの、数限りない喜怒哀楽に手を合わせて
真摯に向き合うには
少しばかりの勇気がほしいけどな。
どんな感情にも関心を寄せて、こんな常識と非常識だらけの世界を
共に。
歩いて行けたら、きっと
最後には、「喜」と「楽」が輝いてるんじゃないかな。